ベネツィア イタリア 日記

妹とのイタリア 日本人と海外

ベネチア

妹二人がイタリアに会いに来てくれた。
今年の夏、大学生に海外と日本の両方に興味を持ってもらいたいという思いで行った講演会を、たまたま聴きに来てくれていた。その時に海外にも行ってみようかなという気になったらしい。
「本当に来て良かったと。」と言ってくれた。「これは知らないと損だ。」とも。
それ以前に会った時よりも前向きな自信が顔に表れていた。
未来に何が起こるか分らなくても、自分の選択が正しかったと確信していた。
これほど嬉しい事はない。

人の価値観は人それぞれ。
正解、不正解はない。
けれど自分はこれからも人に海外を見る事をすすめたい。
なぜならそれがその人自身にとっていい事だと信じているから。
そしてそれは日本や世界の為にもいい事だと信じているから。
そしてそれは自分にとってまさに望む事だから。

海外を見れば視野が広がる。
海外を見れば日本を見る。
他国との違いが分れば、自分のアイデンティティを認識出来る。
自身を知れば人と向き合いやすくなる。
国境や宗教を超えて世界中に友達がいる人が増えれば、争いも一歩遠のく。

はっきり言って日本人は素晴らしい能力と心を持った民族だ。
それは第三者からもおおいに認められている。
だからこそ自分自身も和服を着て旅する中で多くの国の人に尊敬と共に接して頂ける。
これが先人が「行動」によって築いてきた「信用」という、途方もない価値の贈り物だ。

今の日本人が無条件で与えられているこの先人からの贈り物を、ただ浸かる為のぬるま湯にしてその中でただ快適にすごして使い果たして失うか、これをさらにいい物にして次の世代に引き渡すのか。

どちらの方を望むかは、殆どの人にとって議論の余地の無い事ではないか。
先人がどんな気持ちで命懸けでこの宝を残してくれたのか。
自分の子供達にどんな風に生きてほしいのか。
それを考えれば、日本人は日本人としての素晴らしい文化と信用を失う訳にはいかない。

そして、さらにその上で。
そんな日本人が言語の壁や、先入観を乗り越えて、個人単位で世界中と繋がり始めればそれほど頼もしい事はない。

そして、日本が国際社会でさらに活躍していく事こそが、様々な地球規模、人類規模の問題をいい方向に持って行く大きな力になると信じている。

自分の幸せを目指す事が、自己中心的でなければならない訳じゃない。
人の幸せを目指す事が、自己犠牲でなければならない訳ではない。

自分の幸せを目指す事が、人の幸せを目指す事にする事も出来る。
人の幸せの為に動いて、自分が幸せになる事も出来る。
それは自己と他をありのままに見つめ、必要な物の為に具体的に努力し、効果的な行動をしていく事によって実現出来る。

日本でも自由な生き方が許される社会になって以来、人々は多くの事を試して来た。
日本で当たり前だった事も変わって来た。
個人主義的な風潮も高まり、孤独な人が増え、複雑化した社会は立ち止まって考える暇もなく濁流の様に人を押し流し、労働時間は多く余裕は少ない。ある国の内戦で犠牲になる人々よりも日本で自殺をして命を落とす人の方が多い現状もある。日々交わされる会話は、自分自身や家族や国や世界中の人の暮らしの為に関心を持つべき政治よりもテレビやアイドルやファッションやギャンブルを始めとした娯楽のこと。今の時代、一昔前とは違って「他人事」など何一つない。しかし周りを見る余裕はあまりない。

しかし、現状が難しいものでも
自分は日本が目を覚ますと確信する。
日本人はその魂を失っていないという事をこの目で見て来た。
それらは希望を持つのに十分過ぎるものだった。

自分は日本人として産まれた事を誇りに思うと共にこの上ない幸運だと思う。
そして同じ日本人の仲間を心底好きだし頼もしく思う。
海外の人々の違いに敬意を表しながら、愛情と繋がりを感じる。
自然や動物を兄妹や親として感謝と畏敬の念を持つと共に、その美しさに驚嘆する。

これからも自分は人に海外に行く事をすすめる。
和が広がって、世界という一枚の絵が、より美しい物になって行く事を祈る。

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