サークルを取り囲んで多くの人がサンダンスの儀式にそれぞれの方法で参加している。
聖なる火を守る者。スマッジ(薬草を燻した煙を扱う)をする者、ダンサー以外の参加者の為に食事を用意する者、ドラムを叩き聖なる歌を歌う者、命の木の周りで踊る者など。その誰もが祈りを捧げている。この人々は様々な地域から集まって来ている。
ブラジル、ドイツ、オーストリア、アルゼンチン、イギリス、日本など。
アメリカン・インディアンの中からも様々な部族の人が来ている。
オジブエ族、オダワ族、ラコタ族など。車で1000km以上の距離を走って来た人も少なくない。

現在アメリカ各地で毎年行われているサンダンスの儀式の中には部族の外から来る人を一切受け入れない物もあると聞く。そこには必ず大切な理由がある。それはそれぞれの部族の歴史的背景や現状を見れば、その全容を理解する事は出来なくても理由があることは容易に想像出来る。自分はどちらの方が良いかなどという事を考える気はない。ただ今回感じた事を書こうと思う。
デニス・バンクスを始めとしたこの地のサンダンスは、世界中で感謝を持って祈り、生きる人々が必要で、そしてその人々を精神的に深く繋げる事が必要であると考えているようだ。そしてこの土地に来た人々は真摯に祈り続けた。どこから来た誰なのかは大きな問題ではなかった。儀式の期間を通してそれぞれの魂に触れて感謝し合い、抱きしめ合い、ある人は涙を流して共に祈った。
もちろんその場にいた誰もが理解し合えた訳ではない。問題も起こる。しかしここに来た人々は感謝と祈りの為にこの地に集まった事は皆が知っている。その調和は美しかった。

二日目、空腹は殆ど感じない。喉の渇きは強い感覚として現れ、なかなかそれを忘れる事が出来ない。日の出前の、肌寒いけれど気持ちのいい朝、聖なる火の周りからまた一日が始まる。
ドラムのリズムに合わせて命の木の周りを回る。何も考えずに空を見つめ、命の木を見つめ、込み上げる感謝と共に祈る。

この日は一人目のピアッシングを引き千切るダンサーが出た。胸に刺した木の棒をロープで命の棒と繋げて祈る。そして勢い良く命の木から離れて自分の体を引き千切る。自分はそのダンサーのすぐ後ろで勢い余って倒れてしまわないように支える事になった。
基本的にはこの儀式を行うのは男性だけとされている。女性は子供を産む役目があるというのが理由の一つだ。断食断水は伴わないにしても、出産の痛みはこの儀式の比では無いと誰もが考えている。出産という大切な儀式によって自分を犠牲にして新たな命を生み出す女性は根本的に男性よりも循環とのバランスがとれている。(今回ピアッシングを行った女性もいた。その場合腕に行う。)チーフのデニス・バンクスもくり返し言っていた「女性は命を生む。男性には出来ないことだ。」
実際に胸に木の棒を刺したダンサーが今まさにそれを引き千切ろうとしている。祈りを捧げて勢いよく後ろに下がる。その瞬間胸からロープが命の木の方へ弾けとんだ。それを目の前に見つめながら、祈りの中にあった感謝が自分の母親に強く向けられるのを感じた。どれほどの思いで痛みと苦しみの中から自分を産んでくれたのか、無力な赤ん坊を今ここに立っていられるまでに育ててくれたのか。それを思うと自分の奥底まで震えるようだった。照れくささもあって、その感謝を伝えることはまだ得意ではないけれど、出来る限り表現したいと強く思った。
このラウンドの終わり、空を眺めている時に、あるヴィジョンがはっきりと見えた。それはこれまでとこれからの自分を暗示する絵となって現れた。初めての経験に驚きながらも、そのメッセージが空にとけるまでの間、ただ真っすぐにそれを見つめた。

バウキングドックは引き続きバッファローの頭蓋骨を背負っている。自分はその脱着をまかされていた。何も知らない自分を助けてくれる事をとても感謝していた。その上、彼にとって大切だけれど自分では出来ない事を信用して任せてくれる事は嬉しい事だった。背中に刺さった木の棒にバッファロースカルが固定されているロープを付ける。血は固まり、皮膚は乾燥している。バッファロースカルの重みをゆっくり彼の背中に移して行く。彼は深呼吸をして歩き出す。

一日四度のダンスの終わりにはダンサーと輪の周りの人々がダンスサークルの境界線を隔ててドラムの傍に集まり、バイプを回す。
やがて日が暮れて人々は眠りにつく。