徒然草 サンダンス 日記

サンダンス三日目 血と再生

三日目。強烈な喉の渇き。しかし空腹は驚くほど感じない。
絶対に食べないという意思を持つと空腹感は消えてしまうようだ。「空腹」という感覚の実際の必要量と、普段欲望によって増幅されている分のギャップを感じる。

この日、自分がピアッシングをする事になった。サンダンスを踊ると決めた時から当然「絶対」ピアッシングを行うと決めていたので多少の緊張はあったが不安や恐怖は案外なかった。食べないと決めると空腹を感じない事と似ている。
ダンスサークルに入る前、パイプストーンの粉で作った赤い顔料で顔や体をペイントする。いよいよ祈りの為に血を流すのだ。ここに至っては何も考えない事にした。ただ自分の感じている事に意識を集中する。

ドラムの音と共に重厚な歌声が響き渡る。ダンサーが一列になってサークルに入って行く。しばらく踊り、その時が来た。
年長のダンサーが迎えにくる。その後についてゆく。そして長老の待つ命の木の傍に辿り着く。バッファローの毛皮の上に立ち、これから木の棒を胸に入れてもらうのだ。かつてこの瞬間を恐れたが、今はただ祈りながらそこに立っている。
デニス・バンクスに促されて目を閉じる。暗闇の中で一日目にバウキングドックに言われた通り、自分なりの内なる太陽に意識を集中する。胸をつままれてそこに何かが入ってくるのが分かる。痛みは大した事はない。鉛筆より一回り太い程度の自分で削った木の棒が胸に刺され、ロープで命の木と繋がれた。
この状態で命の木を見つめながら、またしばらく祈る。ダンスのステップに合わせて自分の胸から命の木へ伸びるロープが波打つ。周りで数人のダンサーがサポートしてくれている。彼らはイーグルファン(鷲の翼をそのまま使った扇子)で扇ぎ、励ましの言葉やアドバイスをくれている。心強く温かい。

命の木と神聖な方法で繋がる事は、母なる大地や大いなる神秘と繋がる事も意味している。この世の中のあらゆる物は繋がり、関係し合っているが、その繋がりを鮮烈に象徴している。
そして、その繋がっている自分の体をちぎり、解き放たれる事は「生まれ落ちる事」の象徴でもある。
自分が実際に産まれた時、何も知らないまま母体から出て体を切り離された。突然まるっきり別の世界に飛び出してこれから何が起こるかも解らなかった。不安であったろうと思う。しかし今、正にこれからこの世に生まれ落ちる事を知って、痛みの伴う誕生に備えている。以前とは違い誕生に伴う痛みを認識し、産まれた後の世界も知っていて、これから起こる事は自分次第だと知っている。その上で自分の意志で産まれる。希望を見いだして痛みと共に存在する事を「選択」する。
命の木を見つめながら、これまでの恵みに感謝して産まれた後の自分の存在を如何にすべきかを思い描く。そして命のあるこれからの人生、命のつきた後の事、自分と繋がるものに感謝が込み上げる。あらゆる物が繋がり、関係し合っているので、自分と繋がるものへの感謝はそのまま「全ての存在」に対して感じている感謝と区別がつかない。どちらが後でも先でもなく輪を描いて廻っている。
胎児と母体の関係は、全ての人間一人一人と地球や太陽との関係ととても似ている。人はこの地球上にいて、ここにいる理由も知らずにただひたすら自分の命に必要な物を与えられる。自分自身ですら与えられた物で出来ていて、体の内側も外側も与えられたものしか見当たらない。自分で「作り出した」という考えや「獲得した」という考えは、物事を部分的に見た時に感じられる錯覚でしかない。「所有」という言葉を創作し、それを「失った」と錯覚して一喜一憂する。我々はこの星や、太陽を始めとしたこの循環から何も要求されずにただあらゆる物を与えられ続けている。そこに感謝以外の何が入り込む余地があるのだろう。
そしてそこに古くから世界各地の人々がこの地を「母なる大地」と呼んだ理由があるように思う。単なる比喩ではなく、認識の大きなズレが生じる余地の無い程単純な事だから遠く離れた人々の間で共通の呼び名になっているのだろう。

命の木を見つめながら祈り、命の木へ向かって踊りながら近寄っていく。命の木の傍に来て、両手と頭を木につけて祈る。これを四度繰り返し、その最期に勢いを付けて命の木から離れてピアッシングを引きちぎる事になる。
気付いたら、ピアッシングを引きちぎって再び産まれるまでのその時間を一つの人生のように感じ、産まれる事を「死」と「生まれ変わり」の様に感じていた。四度命の木の元へ行く過程が人生の四段階、四つの季節のように感じていた。
一度目、春、幼少期、終わりなど意識せず命の木の温もりを感じる。
二度目、夏、青年期、ただ前を見て信じて祈り、進む。
三度目、秋、壮年期、終わりを見つめながら今命の木に触れている時間を感じる。
四度目、冬、老年期、思い出と共に感謝と一時の別れを告げて幕を引く。
命の木に触れる度に「お久しぶりです。またここへ来ました。」と話しかけて祈る。

四度目の終わり、命の木の方を向いたまま後ろへ下がってゆく。以前にバウキングドックがアドバイスをしてくれていた「最期ピアッシングをちぎる時には勢いが必要だから背を向けて走って最期に振り返れ。」「・・・命の木の方を向いたまま後ろ向きに歩いて最期にそのまま速度を付けて引きちぎろうと思います。」「それがお前の思い描く事ならそれでいい。思う通りにやれ。」
ロープの終わりに近づいて後ろに加速して体を投げ出す。
胸の部分が思い切り伸びる。その瞬間、体が空中で前に引き戻される。(ちぎれなかった。強い。)着地して驚く。そしてまた命の木へ向かって歩く。命の木の下で目を閉じる。意思が体中に満ちていた。また命の木を見ながら後ろに下がる。
前回よりも少し早いタイミングで数歩思い切り勢いを付けて後ろへ飛ぶ。空が見える。背中に衝撃を感じ、体が小さくバウンドした。その瞬間胸からロープが弾け飛び、足下の命の木の方へ飛んでゆく。
ちぎれた。痛みは感じたし感じている。しかしそれは大した問題ではなかった。横たわっているのも束の間、体を起こされてサークルを一周する。後で聞いたのだが、ある人は一度目に切れなかった時もうだめだと思ったらしい。二度目に飛んで体が地面に着いた時、距離が足りなくて切れなかったと思ったらしい(その直後に切れた)。その後にサークルを回っていた時それまでの自分の踊りとは違う踊りを踊っていたらしい。

再びこの世に産まれた。もう決めていた事だけれど、今回の人生では旅をしよう。
一度人生を終えるイメージをしてまた強く思った。もしもかつて飛ばずに終わった人生があったなら、今その分まで思うように世界を飛んで回ろう。美しい世界を見て感謝しながら時を過ごそう。

今回の命をありがとう。無駄にはしません。


過去のダンサーの写真

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