ヒマラヤ 日記

和服でヒマラヤを歩いて

和服でヒマラヤを歩いて 伊藤研人

一人で山道を登り続けて辿り着いたのは標高約4800m。
美しい自然の中で、そこに溶けるように自分が個である事を忘れて歩くと疲れも感じない。
標高が上がるにつれて環境も景色も劇的に変わって行く。
歩き始めは竹林や苔むした森が続いたが、3000mを超えると荒涼として雪も増えてくる。

登り始めて3日目、日の出前に約4000mの地点から歩き始める。
和服で世界を周り始めてから、今回が一番寒かった。
地下足袋を履いた足のつま先が冷たさに痺れる。
汗はかかないように気をつけながら山を登る運動で体を温める。
天気が崩れれば一気に下山する覚悟は出来ている。
しかし、今日は運良く快晴。
ゆっくりと登り続けて、一つの尾根の頂上まで辿り着いた。
そこから更に高い山々が四方に見渡せる。
これからまだまだ楽しみが残ってる。
と同時に真正面の山肌で雪崩が起きた。
低く響く音と共に雪の塊が自身を大きくしながら急斜面を降りて行く。
自分の小ささを痛感すると共に、人として生きるという事の実感を与えられる。

ここに辿り着いた時、伝えたいと感じた想いがある。
『和服でもここまで来られた』という事だ。
寒い所では中に肌着は着ていたが、道中全て着流しでここまで来た。
過酷な環境という訳ではないが標高で言えば富士山よりも1000m高い。
一般的に3日かける行程を1日で歩いた日もあった。
特にすごいという訳ではない。
ただ、「和服が不便だ」とか、「動きづらい」とか思う人がいればこう言いたい。
「そうでもない」と。
確かに洋服に比べて股がひらき難いとか走りづらいという事はある。
しかしそれでも、ヒマラヤ4800m程度に登るくらいの運動は出来る。
それならば日常生活には十二分なはずだ。
その上、洋服には無いメリットがたくさんある。
肚が守られる。姿勢が正される。それに伴って精神が安定する。などなど。
この機会に和服を普段着として着てみる事を考慮してくれたなら何よりの幸せだ。
この事に関しては、現代の普段着として和服を選択肢に入れられる人が増える事を目指して、和服を作って売り出す事を始めた時に再度口説かせて頂く。

そして、常に心にある事だが、このような場所で特に感じる事がある。
「日本人が日本人として世界中を自由に歩き回れる時代が来た」という事を今は亡き先人達に、自分の生き方を通して伝えたいという事だ。
日本人が世界を意識し始めた頃、海外の人々は脅威でもあった。
外から学ばなければ日本と言う国が生き残れない時代が続き、日本の文化は薄れてきた。
気軽に各国を飛び回れる雰囲気も、環境もなかった。
そして今、日本は戦争を放棄し、経済大国になり、世界中を飛び回れる時代が来た。
しかし、日本の文化と言う物がまだ置き去りになっている。
もう、他国を真似なければ日本が無くなる時代じゃない。
伝統文化が現代の生活に必ずしもいい物とも限らない。
しかし、半ば強制的に、盲目的に他国を真似なければならない時代はとっくに終わっている。
今こそ、日本人が世界を知った日から、歴史上多くの人々が夢見た日本を実践出来る可能性がある。
日本人としての誇りを持って、他国を尊重して本当の意味で対等に交流する。
日本の文化のいい所は再度思い出して、その上で外からも学びながら新しいものを作って行く。

この時代だからこそ、日本のパスポートで気軽に多くの国々を見聞する事が出来る。
この時代だからこそ、日本人である事で信用され、尊敬される。
この時代だからこそ、和服を着て歩いてどこの国の人とも対等に接して学び合える。
この時代だからこそ、日本人としての魂を疎かにせずに生きても、自分も他人も傷つけずに生きられる道がある。

この可能性を、今は亡き日本の先輩達に自分の生き方を通してはっきりと見せたい。
叶うなら彼らが死ぬ気で生きて、成した事は間違っていなかったと感じてもらいたい。

そして、もしも霊と言う物があるならば、世界を見たいと思いながら時代のせいで出られなかった先輩方の霊がいるならば、「和服を着た奴がいる!」と気づいてまとめてついてきてもらって、世界中の風景を自分を通して見せたい。
そう思うとまた、疲れも寒さも吹き飛んでいる。
結局いつも自分が力をもらっている。
自然に、ご先祖様に、皆さんに、係わり合う全ての物に感謝しながら。
真っ白なヒマラヤから。
いつもありがとうございます。

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ただいま。
与えられて、無事に帰って来ました。

流石に寒かったけれど、驚異的な運に恵まれて自分が歩いている間は常に快晴。
たまたま気が向いて二日分歩いて、一日早く山頂に行った。
すると、当初山頂を予定していたその翌日雪が降って登頂不能だった。
現地人が凍傷でヘリで下山したらしい。

今回はどうしても向き合いたくて一人で行ったけれど、迷う事も無く、山賊に襲われる事も無く、寒さに負ける事も無く、お陰様で無事に戻って来れた。
多くを頂いた。

自然はいい。
山も森も海もいい。
しかし、人もいい。

家族や友達、大切な人々。
そういう故郷があるからこそ、美しい物がより美しく感じられる。

来月つかの間日本に寄る。
その時にもしも会えたら幸いだ。

和服でヒマラヤを歩いて 伊藤研人 和服でヒマラヤを歩いて 伊藤研人

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