政治について

国の政治力

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選挙、これからの日本。
日本は大きな変化の時代を迎えようとしている。それは日本が自ら選択する事でもあり、時代の流れの中で抗う事が出来ずに起こる変化でもある。
もっとも多くの関心を集める問題の一部として「原発問題」、「憲法改正」、「TPP」などが挙げられる。

選挙で一喜一憂する事もある。
けれど、国の政治力を左右するのは政治家の政治力じゃない。
国の政治力を左右するのは100%民衆の政治力。
選挙前か、選挙中か、任期中かは関係ない。

選挙で誰が当選するかは重要な事。実際に誰が国民の鏡になって舵を握るかがかかっている。けれど政治家は意志もあるし意見も言うけれど国民の鏡でしかいられない。政治家にとっては国民が鏡でもある。政治家が自分の意見を通したければ国民に語りかけて自分の動きたいように国民に動いてもらうしかない。もしも国民の政治力が無ければ、政治家が何をしているか知らなかったり無関心だったり騙されてしまったりするかも知れない。その結果、政治家が失政をしたり汚職を働いたりするかもしれない。しかしそれは政治家の政治力不足による物ではなく民衆の政治力不足によるものでしかない。
もしも、民衆の政治力が高ければ、まず曇った鏡やヒビの入った鏡を代表として選びはしない。そして鏡を選んでも放置しては意味が無い。政治家が実際に働いて行く時には国民を映しながらになる。選んで、こう言う約束だったからやるだろうと思って放っておけば鏡は効果的な仕事はできない。

選挙で何を公約にしている政治家が当選しても、その政治家に出来るのは、自分がどういう理由でどういう方向に舵を切るかを示して、同意を得てその方向に向かって行くだけ。様々な「権限」はあっても国民の大多数が反対する事を押し切る事など出来ない。

逆に10年後100年後の国や世界の事を本気で想って十分な具体的な考えを持って動こうとしている政治家がいても、国民がそう言った事に十分な関心を払わずに、もしくは知りもせず、もしくは誤解して、明日一日の給料の事、税金の事、インフラの事などしか見えていなければ、広く深い洞察を持った政治家は当選する事すらない。長期的で広く深い全体的な動きの始まりは、表面的、短期的には損をするように見える事が多いから。当選したとしても良い仕事は何もできない。その段階で彼に出来るのは民衆にもっと状況を見るように、もう少し広く深く考えられるように呼びかけるだけ。

選挙前、選挙中は誰を選ぶかという意味で重要だし、それ以上に国民が自分たち自身で国民の政治力が現在どんな状態なのか、国民の大多数が何を求めているのかが分るという意味でとても重要。
国民の政治力を上げないと自分のやりたい事が出来ない人々の事を本気で考えている政治家にとっては国民に語りかけて、関心を集めて、民衆の政治力自体を上げて鏡としての自分がより効果的に働けるようにする為のまたとないチャンスになる。

ただ、任期中も選挙前、選挙中と全く同じくらい国民の関心が重要になる。
この期間は口約束をしたり予定を立てたりするのではなく、実際に物事が動いて行く。そしてその時にも国民の意思や政治力がハッキリと反映される。

選挙が終わって、鏡は決まった。しかし、善くも悪くもこれからますます国民一人一人がどれだけ政治に関心を持っていられるかに全てがかかっている。
ならば一喜一憂する必要は無い。選挙を経て皆が少しだけお互いの状況を知った。これからいかに一人一人が意識を持って行くか、いかに他の人と意識を共有していくかにかかっている。
ただいつでもやるかやらないか。

もう政治家のせいにするような発言は必要ない。全て自分たちのせいだから。
文句の代わりに改善策を考えて多くの人に伝えてみれば良い。それが選挙の結果にも政治家の実行にも内容の質に見合った影響を与える。
今は一個人がそれを実行出来る時代だ。

「原発問題」
歴史の中でなぜ日本が原発を推進してきたのか、誰がどのように利益を得ているのかを知っること。
原発を続けるのと続けないのとでは、アメリカを始めとした他国との関係性がどうなるのか。国際社会での日本の立ち位置はどうなるのか、資源や経済の流れはどうなって行くのか。
どんな新エネルギーの可能性や省エネルギーの可能性があるのか。
他にもたくさんあるけれど、例えばそういう事を具体的に一人一人が知って改善策を具体的に考えて共有して話あう事が必要だし、それが唯一の解決方法ではないだろうか。これが広がって巷に素晴らしい解決案が発生してそれが注目されるような状況になれば、それが実行されない訳が無い。
「原発反対。日本の地位も経済力も豊かな暮らしも失うな。方法はあるはずだから後は政治家がなんとかしろ。頭使え、国民の為に我欲を持たずに馬車馬のように働け。」
これは一切通用しない。言われる方が可哀想過ぎる。

「憲法改正」
法的に戦争が出来るようになってもそれを実行するかどうかは完全に国民の意識次第。
先制攻撃しないとしても戦争を回避出来る訳じゃない。
中国がチベットを始めとした隣国に何をしてきているのか。なぜ思春期の少女が一言を世界に訴える為に焼身自殺をするのか。
自衛隊は実際に何をして世界にどう思われているのか。アメリカが日本を軍事的に護っていなければ日本はどうなっていたのか。アメリカに護られている事が日本の自治や国際的な発言にどんな影響を与えているのか。
世界的に軍事力を削減して戦争の無い世界を作るべきだけれど、今このの状況で同具体的に駒をすすめて行くのか。それを一人一人が具体的に真剣に知って考えるべきだ。
「戦争に行きたくない。行く可能性すらも見たくないから先制攻撃は違法のままで。どこの国にも攻撃されないようにだけなんとかしろ。経済も国防もお世話になってる軍事大国のアメリカの顔色伺って自分の思うことも国際的な場で中々言えないかもしれないけど、それでも皆が戦争放棄して平和になる状況を作れ。方法はあるはずだからなんとかしろ。」
これは無理がある。

「TPP」
今急速に繋がっている世界が、これから更にどうなって行くのか。20年後、40年後、これは誰にも予測し切れない。飛行機の出現、インターネットの出現、それ以降の世界の変化を予測し切れた人がいただろうか。
その危うい状況の中で貿易を如何に行って行くのか。今この瞬間だけを見てもしかたがない。長期的に見て他国との関係性と得るもの失う物を慎重に見て動かなければならない。その一人一人の目が常にその時の状況を作る。
万が一将来的に遺伝子組み換え食品が安く入る事になったとしても実際に流通するかどうかはそれを人が買うかどうかにかかっている。

政治や外交は複雑で勉強しきれる物ではない。だからこそ日本も直接民主主義にはしていない。代表を国民自身で選んで、税金から賃金を払い、その道のスペシャリストとして働いてもらうという方法をとっている。しかし代表であってもその力は民衆に100%かかっている。
直接民主主義だろうと間接民主主義だろうと他の何主義だろうと、結局、国の政治力は国民の政治力でしかない。
国民の政治力が高ければそのなかで選ばれるのも更に素晴らしい人物になる。
国民の政治力が低ければそこで代表になった人物もそれ相応になる、一人だけ育つ事は難しい。それ以上に万が一優秀な人がいたとしても、いつの間にかそれを真っ先に引き摺り下ろしているなんてことも起こりえる。

今、一人一人が情報を集める事も、考える事も、交流する、事も発信する事も実際に可能な時代になっている。
資本や、マスメディアを押さえれば自分の考えを通せる時代じゃない。
本当に国民の政治力がそのまま国の政治力になる時代になっている。
政治に意識を向ける事は、働かなければ家賃を払えないのと同じくらい身近な責任になってきている。
このまま無関心で国が迷走すれば、将来貧困に喘ぐか、侵略されるか、国の奴隷になるか、日本が無くなるか、分らない。そんなことすら起こりえる。直接命や人生に関わる責任だ。
面倒だから任せておける問題じゃない。
生きる為に、幸せでいる為に、護りたい物を護る為に、良い人生を送る為に、果たす事が必要不可欠な責任になってきている。

今、世界中の人々がより多くの事に関心を向ける方向へ向かっている。
それは明らかだ。
その中でも日本は特に人々の意識の変化が早い。
当然の事だろう。日本人の国民性もある。それに加えて二発の原子爆弾、原発の事故。こんな経験をしてきている国は無い。
意識を変えて行かなければ、生き残れないという事が肌で感じられる。
様々な国や人を見てハッキリと感じる。これほど意識が急速に変わっている国は無い。
日本はこれから間違いなくより良い方向に変わる。
一人一人の意識は確実に上がっている。
選挙が終わったからと言って無関心にならずに、前向きな話をしながら、前向きにやっていこう。

長文読んで下さってありがとうございます。

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