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サンダンス、四日間断食断水をしながら日中太陽の下で踊り、その最期には胸に木の棒を刺してそれをダンスサークルの中心に立っている聖なる木にロープで繋ぎ、それを引っぱって自らの体をちぎる事で自分自身を捧げる感謝と祈りの儀式。これを始めたら年に一度四年間行う事になる。

サンダンスにも様々な祈り方がある。今年は一日目に木の棒を胸に刺してロープに繋いで四日間引っ張りながら踊り続けた。夜眠る時もロープに繋がったまま。四日間樹と繋がったまま樹の下を離れない。そして四日目に引きちぎる。

一日目の朝、まさに始まる直前、様々な感情が湧いてきた。あらゆる物への感謝、家族や友達、今この瞬間までに出会ってくれた人々への感謝、それらに対する愛おしさ、空や緑、雲や鳥や風、あらゆる物の美しさ、知っている人や知らない人の笑顔を思い浮かべる。人生を振り返って楽しかった事、悲しかった事、誇らしい事、反省する事が湧いてくる。そしてこれから四日間、痛み、乾き、空腹、熱、拘束を背負いながら大切な物の為に祈る事になる。その瞬間、恐怖の一欠片がやってきた。久しぶりに感じる恐怖だった。しかし微かな感覚で久々に感じる恐怖に「久しぶり、ありがとう。」という気持ちになる。そしてその恐怖を手放そうとすると、そよ風のように柔らかい恐怖に手放す必要を感じなくなる。そしてただ眺めると、喜びや愛情や希望や恐怖や悲しみや孤独や一体感を全て同時に感じていられる。その全てが柔らかく安定してどんどん一つに合わさって行く。不思議な感覚。
樹の棒を体に通す時も、その後にロープで引っ張り続けている間もそのままだった。その瞬間に苦しみが特に大きくなる訳ではなくただそこにある。
日陰の少ない樹の下は昼間は暑く、夜は寒い。体を貫く棒でロープを引っ張り続けるのは痛みもある、そのまま夜寝るのも快適とは言えない。空腹も疲れもある。乾きと熱で気絶もした。
けれど、どの瞬間もストレスは無かった。

自分は死なない事を知っていた。
これが自分の信じる物を強くする事も知っていた。
全てのものへの感謝の気持ちでいっぱいだった。
どの瞬間もあらゆる物が美しい。
先人達のくぐり抜けた苦しみや犠牲に比べればこれは無いに等しい事。

自分の置かれた状況は幸せな物でしかない。ストレスを感じる理由はない。

やり遂げた時も達成感や安心感は特別強くはなかった。ただ踊っている時と同じくらい満たされていた。

護りたい物を護る事、出来る限り多くの人が笑顔で暮らせるような環境にするために動いていく事、それは自分で解っているし自分を信頼している。しかし、それをずっと持ち続けられるかどうかを確認するのは簡単じゃない。けれど、追い込まれた状態でただそこに集中している事が出来れば、貴重な機会になる。そしてそれをやり通せた事を嬉しく思う。

サンダンスを踊る人が捧げる犠牲が大きければ大きいほど、祈りが強くなると人は信じている。そしてサンダンスのを踊る人は自分以外の存在のために祈る。つまりサンダンサーが受ける苦しみが大きいほど多くの人や生き物が救われると信じられている。

自分には特別な力は無い。祈りについては自分の理解できる範囲で心から祈る。
それは自分の目指す物、祈る事を出来る限り強くイメージする事。頼むのではなく人の笑顔や美しい世界を出来る限り鮮明にイメージする。それは確実に自分の行動に影響を与えるし、人にも影響を与えるかもしれない。木々に世界中の人の笑顔をのイメージをのせて眺めると幸せな気分になる。自然と人が調和の中で美しいものに囲まれて生きている所を想像するとそこには希望しかない。そんな自分なりの方法で祈り続けた。

自分には夢を見るように期待する事がある。
世界中で言える事だけれど、自分の生まれ育った日本には自分の家族や子供達や国を護る為に自分を犠牲にした人がたくさんいた。どれだけ強い人々だっただろうか。その人たちのおかげで今の自分たちが存在する事は疑いの余地がない。
もしも今、大切な人の為に自分を犠牲に出来るほどの強い人たちが出てきて、その人たちが死なずに寿命を全うしながら大切な物を護る為に生き続けたらどれほど強い力になるだろうか。
そんな日本人が戦うのではなく平和を能動的に作って行く方法で力を尽くしたらどれほど頼もしいだろうか。

これからの時代、大切な物を護る為には、攻撃や防御をするのではなく、目に見える人と良い関係を築いて、お互いに助け合う事、与え合う事が必要になる。それは簡単な事じゃない。武器を手に入れて、人と関わらないようにして、家に鍵をかけるよりもずっと難しい。けれど、もうその方法以外で人が生き延びる道はない。

自分は弱いままだけれど、かつて自分たちを護ってくれたような人々と同じくらい強い人々がこの時代に平和や調和の為に生きて働いたならどれほど心強いかと、ささやかながら自分の命と向き合いながら想像する。
先人に追いつけなくても、せめて恥ずかしくないように、苦しみに囚われずに希望をもって踊っていようと思わせてくれる。

サンダンスは自分の命を捧げるという言い方をする。しかし、死ぬ為ではなく、生きる為に苦しみながら祈る。生まれ変わって強く良く生きて行くためのもの。
このタイミングでこの場所にいられる事にも強い縁と感謝を感じる。

去年初めてサンダンスに参加した時には四日間棒を刺してそれを引っ張りながら踊り続ける事など出来る訳が無いと思っていた。正直言って血を見るのは元々得意じゃない。
けれど今年始まる直前には自分の中で殆どそれ以外の選択肢は無かった。「出来る限りの事をやる。死なない範囲なら手加減する理由は無い。」それだけだった。
そして、結局去年できる訳が無いと思っていた事をしながら、ストレスすら無かった。
人生はいつもそんな風だ。
驚くような変化が起こる。
世界中の隅々まで「変化」満たされていて、それは絶対に止まらない。
それがいつも自分を楽観主義にしてくれる。
思いもよらない変化が起こる。
それはこの世界にしても全く同じ事。
どうせ起こる変化をいい物にするように力を尽くしながら、常にその瞬間にそこに有る物で満足している事。
そうしていれば楽観して楽しまずにはいられない。
「良い変化」を期待しながら。

いつも支えてくれる友達
ありがとう。

自分に関わる全ての物
ありがとう。

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