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サンダンスの儀式では、胸に左右に箇所刺した棒にロープを括り付けて木とつなぎ、それを引っ張りながら4日間踊り続ける。
痛みを慣れさせながら、水と食を断ち、飢えと乾きに耐えて、四日目に引きちぎる事への恐怖と向き合う。
様々な想いがよぎる。

「我々のご先祖様の中には、我々を守る為にこれ以上の痛みや苦しみや恐怖を受け入れた人々がたくさんいた。どれほどの試練を乗り越えて今の我々があるのだろうか。」
頭ではいつでも解ってる。
しかし、自分自身が追い込まれて初めて腹の底から自然に沸き上がってくるものがある。
これは理屈じゃない。
ただ自然とそう思うと、感謝と共に自身の命の意義をまた考えさせられる。

三日目になると、乾きでフラフラしてくる。
休憩の間、手足がしびれ、立ち上がると気絶しそうな状態で仰向けになる。
去年はこの状態で動いて気絶した。
感覚で自分の体がどこまで追い込まれているのかは分る。

乾きと飢えと痛みを抱えて仰向けで空を眺めていると、涙が止まらなくなる。
「世界中にはこれと同じかそれ以上の苦しみを感じている人々、子どもたちがどれほどいるのだろうか。自分は儀式の後に水と食料を得られるから生き残れる。しかし、その保証がないまま苦しんでんでいる人々、子どもたちがどれだけいるだろうか。旅をしながら出会った助けを求める人々を助ける事など到底出来なかった。あの人たちは今どうしてるだろうか。」
これも頭ではいつでも解っている。
しかし、自分自身がギリギリになった今、全身でそれを感じる。

「今のままではいけない。日本を自国の事をしっかりとやりながら、世界の諸問題に全力で向き合える国にしたい。その為に人生を賭けたい。」
途方も無い話だけれど、世界と自分の命の淵を見れば、誰でもそう思うのではないだろうか。
実際に志を同じくする仲間がすでに無数にいる。
人生を賭けての話なら、決して不可能ではない。

今はただ祈り、自分に出来る事に思いを巡らせる。

祈りに「直接的な効果」があるかどうかは断言出来ない。
そう言った部分は「肯定」も「否定」もせずに「置いておく」。

しかし「間接的な効果」は確実にある。
実際に心の底から望む事を強く念じ続ける事によって「想い」が強くなる。
その「想い」が「発言」になり、「行動」になってゆく。
ふと頭で思っても苦難を乗り越えて自分の本質が望む所に行くために進み続ける事は出来ない。
人の脳は防衛本能で7割が恐れやネガティブな思考をするように出来ている。
だから「いい事」や「やりたい事」よりも「楽そうな事」を選んで自分を見失いやすい。

自分にとって「祈る事」は映像や音で望む状況を鮮明にイメージする事だ。
そうする事で望む事が、漠然とした概念から、具体的な現象になる。
それから、そこに至るための道筋のイメージを紡いでいく。
「平和」と言うが、平和な社会とはどんなものか、人々はどんな表情でどんな生活を送っているのか。
「自由」とはなんなのか。自由な人はどんな精神状態で何をしているのか。
「原発」を具体的にどうしたいのか。その時の国際情勢や人の暮らし、自然の在り方はどうなるのか。
「環境」「食料」「人の苦しみ」祈りは無数に続いて行く。

その祈りが強ければ強いほど、爆発的にイメージは広がり、高速で回転する。
無数のアイディアが生まれてくる。
その欠片が集まって日々の行動になっていく。
それが自分にとっての祈り。
確実な効果のある必要不可欠なもの。

自分の経験から、ぬるま湯に浸かり切っていて、自然に祈りが始まる事は無い。
人の苦しみを知らなければ寄り添えない。
闇を見なければ光の概念が分らない。

ブッダが「苦行は無意味だ」と言ったと言う人がいるが、解釈を気をつけなければならない。自分はブッダが言ったのはこういう意味ではないかと思う。
『この世は「一切皆苦」であり、人はあらゆる経験から学び得る。どの業が偉大な訳でもない。ブッダが真理を悟ったものとして教えを与える限り、あえて様々な苦行を求めなくても、日々の学びから真理に至る事は出来る。まして、苦行の苛烈さを追求すればきりがない。命を落とすような苦行などはすべきではない。
しかし、楽して怠けて欲望に身を任せて涅槃に至り、幸せに生きられるものではない。
苦しみを乗り越え、痛みを知り、人と自分、外と内、無と全を知って初めて、良く生きて良く死ねる。』

これも自分個人の意見だけれど、試練とそれに伴う祈りに意味はあると思っている。
科学的に証明されている脳の癖を乗り越えて、前向きで建設的な想像力を発揮し続けるのは努力が必要な事だ。
七割の脳の癖を乗り越えて否定や批判や嫌悪を頭によぎらせもせずに、誠を貫きながら仁儀礼を乱さず、智を豊かに勇をもって進み続ける。
この為には心身の鍛錬がいる。
強い祈りへの集中が必要になる。

これが乱れれば、弱い自分には四日間飢えと乾きを抱えて痛みと恐怖と向き合いながら、寒さ、雨、蚊に耐えて、自分の体を引きちぎる事は出来なかった。

苦しみを伴わずに祈りを持ち続ける事が必要な事に疑いの余地はない。
しかし、そこに至る為に自分には、自分を見つめ直し、苦しみや恐怖を知り、限界がどこにあるのかを見極め、何が出来るのかに全身全霊を持って集中する機会にはとても意味がる。

恐怖、感謝、祈り、楽しさ、美しさ、信念、愛情、慈悲、痛み、悔しさ、安心
様々な想いを何周も巡らせて、その瞬間に凝縮する。
全体重をかけても中々自分の皮膚はちぎれない。
刺すような痛みと共に木の棒とロープが弾けとんで解放される。

自由

また世界を回る。
今この瞬間に過去も未来も詰め込んで、祈りと共に行動に最善を尽くす。
ありがとう。
ただいま。
行ってきます。