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かつて日本は政治と富を切り離して考えていた。
侍にとって富の為に動く事はもとより、計算術を知る事すら恥とされた。
義にそって事を成す事が重要であり、私欲の為に動く事は恥ずべき事であった。

かつて日本の会社の多くは「社会貢献」する為の物であり、人々の幸せに繋がらないのであれば自らが存在する価値がないと考えた。

かつて日本の人々は、繋がりを大切にして、自然や季節の移ろいを愛し、感謝して生きた。

その心が完全に失われたとは思わない。
しかし、その心が影を潜めたが故の問題が次々と浮き彫りになっている。

なぜ現代の社会はこれほどまでに非効率で、私欲を求めて傷つけ合い、無関心が蔓延するのか。
便利な道具は増え、平均寿命は上がったが、生産性のない仕事が増え、労働時間は増大し、人々は孤独で疲れ切っている。
社会の在るべき姿を論じる方法はいくらでもあるだろう。
しかし、本質は一つ。
あなたが今、心の底から幸せだと感じているかどうか。

欲は悪い物ではない。
しかし、それに振り回されても、個人主義に走っても人は幸せになどなれはしない。
人にはこういう性質がある。
「人は苦しみや喜びを知った上で、個人の最低限の欲求を満たせたなら、自然と人の幸せを自分の幸せと感じる。自身が心地よく生きられる姿を段階的に自己実 現していけば、自然と社会全体の為を思って生きる。その範囲は段階を経るごとに広がり、人や自然、ありとあらゆる物を愛を向ける対象とする。そして、それ を至上の喜びとする。」
これは、マズローの螺旋的発展でも表現出来る。
ブッダの無数の小悟を経て大悟に至る姿や、キリストの全てを愛する姿とも重なる。
そして、日本にはその心が神の道や、天、義などの中にはっきりと見られた。

お金だけを追い求めて、自分の良心に背く事をして、孤独になってしまえば、どんなに裕福でも幸せにはなれないと、現代人ならば誰でも分っている。

しかし、資本主義の仕組みは、利益を第一に考え、競争を助長して、技術発展の代わりに人の心をないがしろにした。
しかしそれも、たかが数十年の試みでしかない。
資本主義を否定する訳でも、別の主義を推す訳でもない。
ただ、自分の心に聞いてほしい。
今の社会の有り様に満足かどうか。
それが全て。

血液が濁れば、細胞の一つ一つを害していくように、
社会が歪めば、人々の心は乱れる。
逆もまたしかり。

社会の仕組みのせいで、個人が生き難いと考える事も出来る。
しかし、
個人が様々な試練や誘惑に負けずに、義にそって幸せで健康にに生きる事が社会にいい影響を与える事が出来るというのも真実。
そういった人が増えればそこに道が出来て、更に多くに人がゆく。
その集合体が社会であれば、自然と社会はそのようになる。

断言する。
どれほどの富を得ようとも、それが自分の欲を満たす為の物であれば、人は幸せにはなれない。
そこに人類社会や自然界全体を想い、その全体性の為にそれを活かす心がなければ、真の幸福を感じる事は出来ない。
その道を示す物を、先人は「天」や「義」と呼んだ。

考える事ではない。
観じる事。
この美しく豊かな土地で生きて来た日本人には、自然を愛でる心、人を想う心が深く息づいている。

「私欲」や「利益」に我々を支配させずに、真に大切な物ために生きたい。
「世のため人のため」に、政治、企業が動ける社会を皆でつくりたい。
それは体裁を気にする事でも、苦しみと共に自己を抑制する事でもない。
何より我々一人一人の幸せの為になることだから。

日本はかつて、それを社会的な仕組みとして、世界で最も実行していた国の一つだった。
そして今、改めてこの近代経済の中にあっても、新たにそれを体現する力が今の日本にはある。
それを世界に先駆けて手本を示す事が出来れば、それがどれほど他の地域に住む人々の為になるだろうか。
ここまで世界中の経済が繋がった今、「他国の為」こそが「自国の為」に直結する。

皆でお互いが幸せに生きやすい社会をつくって行きたい。
それを子どもたちに手渡したい。

共に楽しみながら進んで行ける事を祈って。
ありがとうございました。