人生について

生きる意味

生きる意味
生きる意味は人がなんとでもこじつける事が出来る。決める事も出来る。
しかし、真理として存在する理由を知る事は出来ない。
なぜなら森羅万象と繋がった真理をふまえて存在の理由を知る為には森羅万象の真理全てを知り、理解しなければならない。しかしそれを知る尽くすには森羅万象そのもの全てにならなければならない。限られた形を持っている限り存在全てを包括する事は出来ない。もしもそれが出来てしまうなら、完全な存在になってしまい、無と見分けがつかないほどの完全な物になる。その状態では個としての意識などなく、存在の理由は問う意味の無い物になる。

我々が存在する意味は解らない。生きる意味が解りようが無いのなら、有っても無くても同じ事。
このただ変化が続く世界で、一人間としての一生なんて一瞬の閃きのような物。生きる意味なんて有っても無くても同じ事。全ては変化していく、その一視点として生と死が有る。
ならば生きていても死んでいても同じ事。ただそうある事を受け入れるしかない。生きていようと死んでいようとそこに意味が無いのなら、ただ有る事を受け入れるしかない。だから生きる意味が分からないからと言ってその状態を変える必要は無い。生きる理由が解らないから死ねば、そこに死ぬ理由も無い。死んだ後に死んでいる理由も解らない。それならまた生きる事を始めるのか。理由が解らないというだけで現状を変えるなら、状態に関係なく永遠に自分を受け入れられないだけになってしまう。

生きている理由なんて解らない。解らないなら無いに等しい。
しかし、理由が無いからといって生きるのをやめる必要は無い。
今生きてるなら、それを受け入れて生きている状態を楽しめばいい。

生きる状態を受け入れて、人としての時間を与えられたなら、その時間を自分なりに一番いい物にすればいい。
どうせ生き方を選択するなら好きな生き方を選べばいい。
何が自分の好きな生き方なのかは、見える範囲の事を考慮しながら、自分自身の奥底で見つけるしか無い。

自分で選んだ好きな事だと思っても、自分を十分理解していなければそれが本当に望む事ではないかもしれない。
出来る限り自分を理解して、自由な選択の中で、意味など無い生を在るがままに受け入れながら、だからこそ妥協せず自分の道を選んで生きて行く。
意味も無く与えられた命だからこそ、肩に力を入れる必要はないし、逆に何か信念を持ったなら可能性やリスクを恐れて尻込みする必要は無い。ただ与えられ、それがただ在るから在る。だからからこそ、感謝と共に全身全霊で生きる。

結局
生きる理由は何かと言う問いが、自分自身を理解するという課題にそのまま変わる。
生きる理由は何なのかを考える時間が、自分自身を探求する時間に変わる。
止まって迷う時間が、先は見えないけれど真っすぐに進む時間になる。

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