この世に100%正しい言葉なんてない。
この世に100%正しい人なんていない。
人間が世界の内で理解している事は1%にも満たない。

今人類が生命として大きな力を満った事で、「サバイバル能力」の進化が必要となっている。これまで、生命が生き残る為の能力は生産力、獲物を狩る力、奪う力、身を守る力などが主だった。しかし、国際化が進むと同時に兵器の破壊力が桁違いになった今、人類同士で大きなな争いが起これば共倒れになる。つまり自分自身が生き残る事が出来なくなる。今、最も重要な「サバイバル能力」が「如何に争わないか」や「調和の中に生きる力」になっている。それがこれから人類が起こすべき新しい進化の一つ。一生命体が一世代で自らの意志で起こす心の進化、これが必要になっている。そして人間にはそれが可能なほどの能力が与えられている。

それを実現する為に重要なのが、どのような「視点と視野」を持つかという事だ。多くの情報に手が届き、世界の裏側の人ともすぐにコンタクトがとれるようになった今求められているのは、多くの視点を同時に持つ事と、目に見えない水平線の向こうにあるものの存在の有無を決めつけないほどの広い視野を持つ事だ。
例えば視点については、一生物としての自分は(自分が生き残りたい)と思う。一人間としての自分は(自分が幸せでありたい)と思う。家族の一員としての自分は(家族を守らなければ)と思う。一社員としての自分は(会社の利益の為に)と考える。一国民としての自分は(国を守らねば)と思う。一黄色人種としての自分は(人種差別には反対)だと思う。一地球人としての自分は(宇宙の孤独の中で地球上の生物が愛おしい)と思う。銀河系の目にも見えない塵の一粒としての自分は(無に等しい存在に過ぎない物が宇宙の美の一部を感じられる事が只々有り難い)と思う。時間の生まれる前も後も含めた終わりも始まりもない世界の中の揺らぎの一つとしての自分は(ただ全てを受け入れよう)と思う。
これらはほんの一握りの例に過ぎない。けれど、多かれ少なかれ誰にでも自分の存在に対して多数の視点を持っている。そしてこれらのどれか一つに固執して生きれば社会や生き物同士の調和が崩れると同時に個人としてのバランスを崩してしまい、違和感の中で生きる事になる。もしもこれらの視点を常にバランスよく同時に持っていればあらゆる物との調和を保つ事が最も大切な事で、自ら争いを起こす合理性はどこにも無くなる。
時に人はあえて視点を一つに固定してしまい、自ら視野を狭くしてしまう。今日起きている戦争の多くがこのせいでもあるのではないか。宗教、国、資源、権力、経済、土地。
例えば宗教は人の価値観を固定してしまう場合がある。宗教を否定したい訳ではない。無数の宗教はよく一つの頂上に登る無数の登山道に例えられる。同じ物を目指しているのに方法や途中の景色が違うせいで違う物に見えるだけだという考えだ。多くの宗教が真理を求める心や、人を助けたいという心から生まれた。しかしそれを人々に盲信させ、価値観を固定して視点を一つにしてしまう事には問題がある。「神を信じなければ地獄に堕ちる」と言われ、それを信じれば神を信じる事が自分の命よりも大切になってしまう。そして違う解釈が存在すれば命よりも大切な一視点の信仰を守る為に命懸けで戦うことになる。神が仮にこの世の中全てを包括した完全な存在であるならば、人間がそれを不完全な言葉で表した物を無条件で信じているかどうかなどという事に、どうして一喜一憂するだろうか。

何かを盲信する事は人間の諦めの現れの一つでもあるのではないか。人間の五感や6、7、8感、何感があろうと、如何に科学が進歩しようと、どれだけ悟ろうと、存在全ての前ではほんの一部に過ぎない。それが分からないもどかしさを麻痺させて棚に上げてしまう為に決めつけて盲信してしまいたいという場合もある。
それは悪い事という訳ではないが、なにかが命よりも大切だと盲信すること。つまり命と信仰が直結してしまえば人生を通して他の考えや意見を持った者を受け入れる事も、それと協調することもなく、場合によっては戦争まで起こしてしまう危険性がある。

科学も宗教とある部分で同じ事が言える。科学はこの世界を表現する為の一手段に過ぎない。世の中の1%すら解明していない科学を使って「科学的な根拠がないから」などと考える事は最も非科学的な考え方ではないか。科学の目的は「真理」解き明かす事だ。しかし数字や文字だけを使ってこの世界を表わそうとする事は最初から矛盾している。限られた文字、限られた数字で全てを含む物を表す事などできない。黒一色で青を表現しろと言っているような物だ。もしもいつか数字で森羅万象の理を説いたと言ったなら、それは黒で漢字の「青」と書いて黒で青を表現したと言っているような物だ。「世界」という単語を作って、これが全世界全てを表す物だからこれで森羅万象を解いたと言っているのと同程度の事。数学で最もこの世の真理に近いものをあえて言うなら、何も数字を書かない白紙の紙なのではないか。
人間に取って科学は目や耳と同じように世界と歩み寄る為に大切な道具の一つだ。自分自身、科学が好きだし、研究者の新しい発見をいつも楽しみにしている。しかしそれが真理で盲信すべき物では有り得ない。

良いや悪いの概念は一視点からの物で、反対から見れば逆になる。広い視野から見れば良い悪いなどの区別はどこにもない。
しかし同時に一人間からの視野で見れば生き残る為に何かを選ばなければならない。その時に必要なのが広い視野と多くの視点を同時に持ちながら自分の感覚に耳を傾ける事だ。「考える事」で答えを出す事は出来ない。根のない「合理性」ではただ転がるだけだ。合理性を生む土台でありそれが根を伸ばす場所は「自分自身を深く見つめた上での自分自身の感覚」でしかない。
「思考」だけでは答えが出ない。限られた言語で考え、限られた経験と人からの影響、限られた視野や視点で考えても答えなどは得ようもないし、合理的な考えを始めるスタート地点に立てない。考え始める土台も根も出来ない。
出来る限り真の自分を知り、その心や感覚を土台にして広い視野と多くの視点で考える事が出来れば、人は自然と調和を求めるのではないだろうか。

これからの時代の人類は、自分自身をより深く知り、この世界の無限の可能性を前に視野を広く開き、多くの視点で物事を見る。それが個々の進化であると同時に、人類全体の社会が調和の道へ進化する事でもある。そして今、それは不可能な事ではない。ただ一人一人にかかっている。

長文、読んで下さって有り難うございました。
未熟で毎日失敗だらけで何の力もない自分自身、少しずつ前進しながら、これから我々が人として、共同体として、国として、種としてどのような生き方をすればあらゆる物が調和をとりながら幸せに生きる社会になるのかなどの話をして行けたらと思っています。
多くの人がどうしたらより良い世界になるかなどの話題をテレビやスポーツ、ファッションなどと同じくらい気軽に口に出来る雰囲気になればと夢見ています。

おそらく同じ事を思っている方もいらっしゃるでしょう。その方にとっては自分が文字にして代弁しただけの事。
なにか違和感を持つ方もいらっしゃるでしょう。その方にとっては会話のきっかけや考えるきっかけにして頂ければ幸いです。
どちらにしても、このような話題について何か思いがある方同士が具体的な会話を交わせる場になれば、そのきっかけになればと願っています。ご自分の思いでも、誰かに投げかけたい質問でも、Facebookページでコメントして頂き、多くの人同士が有意義な会話が出来ればと思っています。
できれば声を聞かせて頂ければ幸いです。

重ね重ね有り難うございました。

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