マヤカレンダーの大きなサイクルである13バクトゥン(約5125年)が終わりを迎え、新たなサイクルを迎えようとしている今、マヤ文明最大のピラミッドがあるエルミラドール遺跡を訪れた。ジャングルの中を5日間歩いての旅だった。


(マヤ文明最大のピラミッド ラ・ダンタ)

1926年に偶然発見され、1978年に調査が開始された。発見、調査が比較的最近であるため遺跡は今だ深いジャングルに包まれており、大人の足で徒歩片道二日かかる道のりは獣道があるのみである。
エルミラドール遺跡群はマヤ文明の中で最大の物の一つであり、その歴史も紀元前10世紀とマヤ文明の遺跡の中で最も古い物の一つだ。主要なマヤ文明の遺跡ティカル、コパン、パレンケ、チチェン・イツァなどよりも遥かに古い。そのエルミラドールの中で最大のピラミッド、ラ・ダンタは72mの高さを誇り、マヤ文明のピラミッドの中で群を抜いて最も高い。その土台となる人口構造物なども合わせるなら、世界最高のピラミッドであるエジプト・クフ王のピラミッドよりも8メートル高いという。

エルミラドールは紀元前3世紀から2世紀にかけて最盛期を迎え、人口は8万人に達したと見られている。その後突如として放棄されたが紀元後再び人が住み始め、最終的に9世紀頃完全にに放棄された。

文明の終焉の理由の幾つもの説の中から2つの説を紹介しようと思うが、まずどの説にも共通したこの古代都市の背景を説明する。
まずこのエル・ミラドールが建設された土地はユカタン半島の中央部の高台に有り、川や湖、他のマヤ文明の都市を支えたセノーテ(水で満たされた巨大な地下洞窟)等が近くに無く、水は雨水に頼らなければならなかった。しかし石灰質の土壌である為、雨水を貯める為に綿密な計画に基づく大規模な工事をしなければならなかった。なぜ一般的に文明に最も重要な水源の無いところを選んで巨大な都市を築いたのか。それはこの文明を築いた人々に取って最も重要だったのが神々との繋がりだったからであった。この土地には巨大な神殿やピラミッドを造る為の石やブロックの原料が豊富にあった。彼らにとって神々と繋がる為の強大建造物を建てられるという条件は水や食料以上に優先される事だった。
その中で一つ目の説はこの資源の少ないジャングルで人口が増大した人々は生存する為に周りの木を切り尽くし、それによる食糧難で滅びたという物。
しかしこの地で生まれ人生の全てをユカタン半島の様々な遺跡の傍で過ごし、それらに関する多くの書物を読んできたガイドはもう一つの説が真実だと思っているという。それはこのような説だ。
この地の人々は非常に強い神々との繋がりを持っていた。最初は一握りの神官のみが神との対話を許され、生け贄を含む様々な儀式が執り行われ、一般大衆は神官を通してのみ神を見聞きする事を許されていた。ここの人々は神々との深い繋がり故に、死は自分の存在する次元を変え、神の世界へ行く方法でもあった。その中でも生け贄になる事は神聖な死の方法で、とても名誉な事であった。この文明は歳月を重ねるごとに神官だけでなく一般の人々も直接儀式や等を通して神との繋がりを持つようになって来た。それは権力で抑えられる物ではなかった。そうして一般の人々は自分自身に神聖な方法で死をもたらし、神々の世界へ移行出来るよう、自分自身で自分自身を生け贄として捧げるようになって行った。このジャングルの地面のあらゆるところに墓があるのはそう言う訳だという。この文明の最期、多くの人が自分で自分を地面の中に閉じ込めて死んで行った。全ての人々ではなかったが、その多数の人間の集合意識はこの社会を存続不可能にするのに十分な物であった。生命の存続に必要不可欠な水や食料以上に神々との繋がりの為の神殿やピラミッドを優先させた文明は、その終末には神々の次元にあがる為に人々に自らの手で生命を放棄させるに至ったという説だ。

遠い過去に思いを馳せながら。