人類について

旅の出逢いから 多様性の社会の中で

アスワン

旅をしながら様々な人と出逢い、確信した事

価値観も好みも人それぞれ
正解も不正解もない
ただ、根本的な事ならば、人々は心から同じ物を求める事が出来る可能性がある
そこに自分は夢と希望を持つ。

スポーツ観戦が好きな人がいれば、選手としてプレイする事が好きな人もいる
ドラマが好きな人がいれば、アニメが好きな人もいる
働くのが好きな人も居れば、一日中だらだらしてるのが好きな人もいる
読書をするのが好きな人も居れば、一晩中飲みながら踊るのが好きな人もいる
大都会が好きな人も居れば、大自然が好きな人もいる
流行が好きな人もいれば、個性的なものが好きな人もいる
好きな食べ物も十人十色
魅力を感じる異性のタイプも千差万別
人生で持つ夢も人の数だけある

誰も自分の価値観を押し付ける事は出来ない。

しかし、一人一人の違いがある中で不思議と大部分が共通する部分もある。
地域、年齢、性別による共通の感覚を持つ傾向は面白い。

ある土地では肌の露出を禁じ、ある土地ではほぼ全裸で暮らす
ある土地の人々はあまり笑わず、ある土地の人は四六時中笑ってる
ある土地の人は今日の事だけを考え、ある土地の人は40年後を考える
ある土地では水を垂れ流し、ある土地では一滴も無駄にしない
ある土地の人は食べて生きる事を優先するが、ある土地の人は神に近づく事を優先する

どこの土地でも子供は無邪気で楽しい事が好き
どこの土地でも子供は思った事をそのまま言って、行動する
どこの土地でも大人は「社会」を踏まえた「自分」を作り上げる
どこの土地でも老人は子供にもどる

女性の殆どは男性に魅力を感じ、男性の殆どは女性に魅力を感じる
女性は可愛いもの、綺麗な物に憧れ、惹かれる傾向があり
男性は強いもの、不思議な物に憧れ、惹かれる傾向がある
男性は戦いや競争や権力を好む傾向があり
女性は育てる事やおしゃべりや美しくある事を好む傾向がある

これらは傾向に過ぎず、もちろん個人差はあるけれど、
どれが先天的な物で、どれが後天的な物かは一目瞭然だろう。

そして、個人差や地域や年齢や性別による傾向を超えて、人々に共通した感覚がある
人を愛する心
人に愛されると嬉しい気持ち
人に喜ばれると嬉しい気持ち
自分の家族を大切に思う気持ち
自然を美しいと想う心
痛みや恐怖を避けたがるということ
好奇心を持っているということ
楽しい事が好きだということ
幸せでいたいということ

こう感じないように見える人もいる。
しかしそれは、ある要因によってこう言った事が表面に出てこず屈折してしまっているだけ。
どこまでいって、誰を見ても、
根本のこの部分は共通だ。

こうして眺めると希望が見える。
より人々が幸せに暮らせる、自然と調和した自由な社会を想像する出発点が見える。
戦争、環境、宗教、などなど、あらゆる問題を解きほぐす糸口が見えてくる。

『戦争』は男性の闘争本能、権力志向、人類共通の恐れから逃れたい気持ち、欲望等が複雑に絡み合って起こる。
しかし、我々は十分学んだ上に、克服する現実的なツールを手に入れた。
闘争本能を満たす為だけならスポーツで事足りる。
その為に家族もろとも死ぬ事は誰にとっても望むところではない。
過剰な権力が周りにどんな渦を巻き、どれだけ幸福と両立しながら生き残る事が難しいかは計算し直す必要もないほどに歴史が見せつけてくれている。
不足が原因の生存の不安や恐れは、今の技術を総動員すれば不足を限りなく少なくする事によって戦う理由にならない程度に抑えられる。
相手を知らない事による恐れは、インターネットや航空機の発達した今の時代、お互いが人間なのだと知り合う事によって初めて克服されようとしている。
欲望と同時に愛情などの根源的な物に冷静に目を向けて、自身の望みを見極めれば、戦いが自分にとっていい結果をもたらさない事は自明の理だ。
今の時代だから出来る事。

『環境破壊』は欲望や生存の不安、恐れ、自発的に先見性を失う事などから起こる。
生存の為に人々は自然を恐れ、獣と距離を置き、森と言う未知の領域を征服した。
生存の為に資源を手に入れようと木々を切り、穴を掘って、火をつけて、海や土壌や空気を汚した
欲望を満たす為に自然界から搾取した。
この地球の果てが見えない時代なら、ある程度その心は理解されるべき事だ。
しかし、地球が球体の限られた土地だと知った今、
環境破壊は我々の自滅に直結する事は自明の理。
未だに惰性で環境破壊を続ける我々は様々な言い訳をしながら、自身の破滅をかえり見ず、快楽に少しでも長く浸っている為に見て見ぬ振りをして意図的に先見性を放り出している。
しかし、人は単純に自然を美しいと感じる。
美しい自然の中に送電線やダムを見れば、不思議とどこか寂しく感じるものだ。
現代の人類の知恵を持ってすれば、森や動物を滅ばす事無く、生活が成り立つ程度の安全を確保出来る。
欲望は満たすだけでは際限がないと、本当はもう誰でも解ってる。
この世界はご先祖様や子孫から預かっている物で、共有すべき物である事も、ただ視野を広げれば思い至る。
人々は土地や時代を超えて平等で、自然も家族も時代や地域を超えた人々も、自分が意図せずに愛を向けてしまう存在である事は当然の事なのだから。
ただ、一人一人が冷静に本来持っている先見性を、そっと手元に引き寄せるだけで良い
今の時代だから出来る事。

『宗教』から起こる問題も、痛みや恐怖を避けたがるという性質や、権力や愛や美、幸福などの無数の要素が複雑に絡み合って起こる。
人に良く生きて良く死ぬ事を説きながら、今世の苦悩や、死後の世界を知らない事による恐怖を取り払ってくれるなら素晴らしい物だ。
無条件に愛を与えてくれる神を愛するのは当然の事だ。
しかし、自分で考える事を放棄して盲信すれば、本末転倒。
目的と手段が入れ替わってしまう。
幸福の為に教えを求めたはずが、教えを与える存在の為に自分や人の不幸をいとわない人間になってしまう事がある。
盲目になって考えない人々がいれば、権力のために利用する人が出てくる。
権力の為に宗教を使って民衆をを盲目にしようとする人も出てくる。
個々の愛や美や幸福を隠れみのにするから一見しては見抜けない。
権力を求めるのはやはり、欲望や生存への不安、恐怖、弱さからだ。
その権力や不安に囚われた状態で自分の欲求と安全を守る仕組みを脅かすような他の宗教があれば、人々をけしかけて戦おうとしてしまう。
しかし、死後への不安も今世の苦痛も、ただ正直に良く生きて、いつでも今この瞬間に足るを知っていれば、何一つ問題はない。
神だろうと、自身だろうと、人だろうと、自然だろうと、全体性だろうと、それを愛すのに人の教えを求める必要はどこにもない。
ただ親が子を愛し、人が人を想い合う社会であれば、それは当然育まれる。
それが真に根源的な物であると信じたいならなおさら、人に聞くよりも、内面から導きだす方がつじつまが合う。
神が真に尊い存在ならば、その尊い神が人々に争いを求めるのか。
その偉大な存在が本当に、自分を信じるかどうかなどと言う事を気にして人々を判断するのか。
もしそうならば、逆にそれは盲信するべきであるほどに偉大な存在ではないのではないか。
もしも、神のごとき存在があるのなら、そんな事は望まないはずで、人々が誤解しているだけだ。
もしも、神のような存在が無くても、我々自身のために、我々が成すべき事は変わらない。
異教徒が鬼や悪魔では無く、同じ愛を持ち、同じ恐れを持った人間である事は、もう世界が繋がった今の時代なら分っている。
文化の多様性は、草花の多様性のように美しい。
宗教を理由に戦う理由は本当はもうどこにもない。
今の時代だから出来る事。

我々にとって目の届き難い地域の人々や自然破壊の犠牲の上に成り立つ、目前の崩壊が約束された、一瞬安定しているかのように見える、幸福の代わりに快楽を重視する社会で、自分の目をくらましながら生きるよりも良い方法は絶対にある。

人々の多様性の自由を認め、色とりどりに花開かせる事が出来る社会が見たい。
世界中で最低限の食料や環境、そして家族や地域や人々の愛情を土地ごとにしっかりと確保した上で、自然と教育が施され、誰もが当然の愛情を持って生きられる社会が見たい。
その誰もが持つ愛情をもとに、モラルでも制度でも仕組みでも教えでもなく、誰もが当然の事として争わず、自然環境を守りながら、助け合って生きて行く社会が見たい。
個人の多様性も、土地に合った文化の多様性も、世代ごとの多様性も、性別の多様性も全ての自由を尊重しながら、愛情を持ちながら現実的に必要な事を学んだ個々の高い判断力によって成り立つ社会が見たい。

今の時代だからこそ出来る事。
そんな夢を自分は生涯見続ける。

人は幾つも夢を持つ事が出来る。
この夢をあなたの夢の一つてして持ってくれたなら、それで実現の可能性は倍になる。
世界中の人がこの夢を共有出来たなら、その瞬間にこの夢は叶う。

難しいようで簡単な事。
簡単なようで難しい事。

どちらでも良い。
可能性は確実にある。

ただ生きている間、良く生きたい。
幸せと愛情を感じながら。

この束の間、
同じ夢を見られるなら何よりの幸せ。

どうもありがとう。

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