パレスチナ人 人類について

パレスチナ問題とそこに住む人々

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パレスチナ人は今のイスラエルが建国される前にこのパレスチナの土地に住んでいたアラブ系の人々。
今のイスラエルが中東戦争を展開して建国して以来、当時この地に住んでいたパレスチナ人は主にガザ地区とヨルダン川西岸地区に追いやられた。
イスラエル人はユダヤ教の聖典、旧約聖書の記載の通り、神が彼らに約束したカナンの地、現在のパレスチナに国家を打ち立てると言う事を実行した。

イスラエルの前はトルコ支配下のパレスチナ、更にさかのぼればイスラム勢力と十字軍、ローマ帝国、バビロニア、アッシリア、ペルシャ、そして古代イスラエル。それ以前はペリシテ人、海の民。ここでたかが紀元前13世紀。これ以前のこの土地での人類の歴史は少なくとも5万年、長ければ10万年と言われている。
国だろうと個人だろうと、どの土地でも同じ事だが、「そこが誰の土地か」と言う事に合理性など無い。
最近は「法」と言う物で合理性が有るかのように繕ってはいるものの、一時的な合意の域を超える事は無い。結局は力と利害の一致のバランスの上で今の形になっているに過ぎない。

人は知らないものを恐れて他民族を攻撃した。
欲を満たし、安心や秩序を求める心から、土地の所有と言う概念を生み出した。
その結果、人という生き物は歴史上戦争という集団同士の争いが絶える事は無かった。

これが人のこれまで。
ここ数千年、試しに民族を分けてみて、試しに国をつくって国境を設けるシステムを採用して来た。
これから人は何を試して行くのか。
あなたならどんな人類の在り方を想像しますか?

ここ、パレスチナ地区は人類史上もっとも多くの戦争が起こった土地の一つだろう。
今回、そのイスラエル人とパレスチナ人の地を見て来た。
その中で何人かのパレスチナ人と出逢い話をする事が出来た。

ーヨルダン川西岸地区ー

・道端
青年「どこから来たんだい?」
自分「日本だよ。」
青年「日本か!トヨタもホンダも素晴らしいよな。良い国だって聞いてるよ。ここはこんな有様だけど、俺たちは国を出る事が出来ない。だけど、どこかに行きたいとも思わないんだ。ここが俺たちの故郷で、この土地が好きだから。」

そう語る彼の顔は明るい。

青年「今大学で勉強をしてるんだ。もうすぐ卒業で、そうしたら皆と同じように働いて結婚する。楽しみだよ。俺たちの結婚式は2、3日かけて祝うんだ!」

ーかつての難民キャンプでイスラエルとパレスチナを隔てる壁を見ながらー

おじさん「昔、この壁が無かったころはここが大通りだった。すぐにエルサレムに行けたんだ。今ではこの壁の向こう。ここでは未だに毎週、週末になると子ども達とイスラエルの警官隊の衝突が起こるんだ。」

夜、壁を隔ててイスラエル側とパレスチナ側では光の量が全く違う。
イスラエルは軍事力でパレスチナ側を抑圧している。
その方法がかなり過激である事も少なくない。
それに反抗してパレスチナ側が爆弾などを使ってイスラエルを攻撃すると言う事も度々起こる。
イスラエル人の言葉を思い出す。

イスラエル人「彼らは難しい立場にいるのは分るけれど、やり方が汚いよ。彼らは爆弾などの兵器、我々の攻撃目標になる物を学校や病院に隠す。仕方なく我々がそこを攻撃すれば、非人道的だと非難される。我々だって病人や子どもを殺したい訳が無い。でもやらないとやられるんだ。」

ーエルサレム旧市街ー

おじさん「俺にはかつてキリスト教徒の友達もユダヤ教徒の友達もいた、キリスト教徒の方がましだよ。彼らはある程度話が通じるし、ビジネスをするとしても約束を大抵守る。でもユダヤ教徒は約束をしたら守らないだけじゃなく、それを利用して後ろから刺してくる。本当に信用出来ないよ。」

自分「少し昔の事だけど、十字軍遠征についてはイスラム教徒の人はキリスト教徒に対してどう思ってるの?」

おじさん「あれはひどい出来事だけど、そのせいでキリスト教徒を恨んではいない。あれは宗教だけでなく政治の問題だった。今ここで目に入るキリスト教徒の直接的な罪じゃない。俺たちはそれくらいの事は分ってるよ。」

故郷を追いやられ、外出なども制限され、時に近代兵器で攻撃し合わなければならない人々。
一見、明るい表情で普通に暮らしているように見える。
しかし、その心の奥深くを伺い知る事は自分には出来ない。
ただ、冗談を言い合って、車や就職や結婚の話がで来た事が何よりの宝だ。
誰でも血の通った人間だ。

各国を旅する中で、もちろん中には危害を加えてくる人もいた。
けれど、それは個人の心の問題。
自分は今まで出逢ったどこの国のどの民族の人とも友達になれた。
その友達同士なら、個人レベルなら、自分を介して表面的に対立する別の民族同士でも友達同士に出来る可能性が大いにあると感じる。
自分の事を信用してくれれば信用してくれるほど、先入観を超えて「こいつの友達ならいい奴だろう。」と思ってもらえる。
自分を好いてくれていれば好いてくれているほど、最初はいぶかしんでも「こいつの顔を立てて挨拶くらいはしようか」と思ってもらえる。
そう言った事が、国家間で目指せないものだろうか。

もちろん個人と国家は違う。
しかし、大人同士の個人ではあまり喧嘩が起こらないのに、たかが約200の国同士が戦争に明け暮れるのは、個人よりも国の方が未熟で幼稚だからだ。
大抵の場合、人間の数十年の寿命のうちで、国の指導者になるのは晩年数年間だけ。
国同士になるとお互いに素人同士、三歳児同然の存在同士がわがままを言い合ってるようなもの。

個人よりも国の方が、より複雑では有るが、より幼稚。だからこそ、根本的で単純な所を見直すべきなのではないだろうか。

叩かれたら痛い、叩いたら痛い。
わがままを通そうとして喧嘩をすれば心が痛い。
人から力ずくで何かを取り上げても心は満たされない。
取り上げたものは味気なく、物寂しさがそこに残る。
子どもはそういう事を体験して、人との関わり方を学んで大人になる。
しかし、国では中身の人が死んで入れ替わって行く。
世代が変われば、せっかく学んだ事が忘れ去られて、同じ過ちを繰り返す。
国は幼児のまま、記憶喪失になり、同じように喧嘩を繰り返す。

人類は今、善くも悪くもこの程度。
しかし、人類とはそう言うものだと諦める必要は無い。
「人類は争いをやめられない」とか「人類はガン細胞だ」とか、カッコつけて無理してこじつけて決めつける必要も一切無い。
あらゆるものは無限の可能性を持っている。
重要なのは、『一人一人が今、どんな人類でありたいか』ということ。
自分の奥底の声はなんと言っていて、自分は本当は何を望んでいるかと言う事。

叶うなら個人でも国でも、友達と分かち合って、心を通わせて、人や自然の美しさを感じて、愛を知って、笑ってこの世を去って行きたい。
自分にとって、生きる事は、そういう死を目指す事。
どんなに可能性が低くても、諦める意味は、今ここで自殺する意味が無いのと同じくらい無い。

いつもありがとう。
あなたとも友達であれる事を願って。

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