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温かいユダヤ人家族 イメージの危険と希望

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イスラエル滞在中、ある家族にお世話になった。
家に着くと、おじいさんが料理をつくってくれていた。
元シェフで、せっかくだからとイスラエル料理を用意してくれていた。
おじいさん、おばあさん、孫娘、ひ孫たちなど、大勢で楽しく食卓を囲む。
たあいのない話から、少し真面目な話まで、色々な話をする。

おじいさんは昔日本に行った事があると言う。
「数十年前に初めて日本に行ったけど、そのころと比べれば今はすっかりと様子が変わったようだね。全部綺麗に整備されて見ちがえた様子だね。」
自分がイスラエルに対して持っていたイメージと重なった。
もっと荒廃したイメージだった。
実際には緑が溢れ、近代的な町が広がっている。
イスラエル建国以前、この土地はやはり不毛の大地だったと言う。
今ある緑はここに住む人々の努力の成果。
しかし、考えてみれば日本も1945年に終わった戦争で各地が焼け野原になり、そこから現在の姿になったのだ。イスラエルの建国は中東戦争の1948年。その後、数回戦争が有ったり、パレスチナとの衝突が有ったけれど、荒廃していそうというのは勝手なイメージだった。
程度は違うけれど、日本が戦争の傷跡だらけだというイメージを持つ事とさほど変わらないのかもしれない。どちらにしても、今の発展を当然と思えるほどに壮絶な努力がそこにはあった。
その瞬間、またテレビで爆破に関するニュースが流れる。
彼らはここで、危険とさほど遠くない距離で、今この瞬間を平和に暮らしている。

おばあさん「私は小さな頃にルーマニアからイスラエルに移って来た。それ以来、一度だけルーマニアに行ったけど、もうあそこは故郷じゃない。ここが一番よ。」

彼らはユダヤ教徒だけれど、正統派ではなく、宗教に対しては日本人の多くが持つ仏教徒としての振る舞いと似ている。
孫娘「私様は神を信じるけど、過剰な戒律には賛同しない。だって、神様の言葉を勝手に解釈してしまっている可能性があるもの。
帽子をかぶって、特徴的な髪型をしているのはユダヤ教に本当に熱心な人たち。少しクレイジーとさえ思う。彼らは聖書を勉強して祈る事が勤めで、仕事はしない。政府からお金をもらって暮らしてるのよ。大した額じゃないけど。彼らのような人の中には今の所友達はいない。」
自分「あの一冊の聖書を一生学び続けるの?飽きないの?」
孫娘「毎年一年かけて一冊通して学んで、それを繰り返す。だけど本当に多くの情報が入っていて、秘密や予言も隠されてる。だからそう簡単にはいかないの。
時々、困った時に聖書を開くけど、適当にひらいた所に悩みの答えが見つかるのよ。」
イスラエル国民の約75%がユダヤ人。その内の大多数が程度の違いこそあれ、宗教を彼女らのようにとらえているようだ。
しかし、超正統派のユダヤ教徒の中には「イスラエル建国は神の言葉に反する。」として反対している人もいるという。その超正統派の人々がイスラエル国内では、政府から生活資金を与えられているというのは興味深い構図だ。

自分「イスラエルに来て、平和そうで正直驚いた。だけど町でたくさんの兵士を見たよ。」
孫娘「私も兵役にはいったわ。多くを学ぶ事ができて、私の人生で最も素晴らしい時間の一つだった。」
彼女の顔は明るい。
「兵役」「国防」考えさせられる。
イスラエルという国を保ちたいなら、現状では確実に必要なもの。
町で見かける兵士達も本当に若く、仲間と一緒にいる雰囲気は学生のようだった。ただ迷彩服を着て、高性能の武器を肩から下げている。

かつてイスラエルと戦争になったエジプト人の言葉を思い出した。
「圧倒的に人口で勝っていても、戦争になればイスラエルには勝てない。武器の性能が違いすぎる。エジプトの情けない経済政策を恨むよ。だけどイスラエル人を嫌ってる訳じゃない。政治の問題だし、お互いに仕方が無い事情が有る。」

イスラエルは大多数がユダヤ人の国だけれど、他の単一民族の国とは雰囲気が違う。
1948年の建国と以来、世界中からユダヤ人が集まって来たのだ。
同じユダヤ人でも、世界各地の様々な文化や暮らしの中にいた人々が集まって来たのだ。
アメリカ合衆国はよく人種のサラダボウルなどと形容されるが、イスラエルは同じ人種だった人々が様々な背景をもって集まっている。これもまた独特だ。
孫娘「まだまだこの国の人々が解け合うには時間がかかるわ。」

そうして夜が更けて行く。
おじいさん「また是非いつでも来てくれ。待ってるよ。」
その日は泊めてくれて、翌日バス停まで送ってくれた。
本当に温かい家族で、感謝が尽きない。
「ありがとう。日本で会おう!」

日本にいるとユダヤ人と言われてもなかなかピンと来ない。
ネットでも語られるのは、虐殺や支配者などと言うキーワード。
しかし、それも勝手なイメージだ。
偏った情報と勝手なイメージとは時に恐ろしいものだ。
日本人の中には、ユダヤ人にそう言ったイメージを持つ人もいるだろう。
アメリカよりのニュースやハリウッド映画の影響でアラブ人を見てテロリストを想像する人もいるかもしれない。
以前、こんな話を聞いた「中国の奥地では反日政策のあおりで日本が今にも中国に攻め入ってくると思い込んで日本を恐れている人もいる。」
同じような事が世界中で起こっている。

知らないこと。
それは本当に判断が不安定な状態だ。
ここに少しでもマイナスのイメージが加わればたちまちにその空白は「恐れ」に満たされる。
時にそれは煽動に利用される。
「日本人は恐ろしい。」
「鬼畜米兵だ」
「ユダヤ人は支配している」
「先住民は悪魔崇拝者だ」
「アラブ人はテロリストだ」
情報の偏りと、恐れによって集団はコントロールされてしまう。

子どもの笑顔を見ればどこでも人の根本は同じだとわかる。
文化や表現は違えど、愛を求め、自分や家族を守ろうとする。

どの道、全てを見て全てを知る事など誰にも出来はしない。
ならば「知らない」という空白を「恐怖」や「憎悪」ではなく「希望」や「可能性」で満たす事が本当の勇気ではないか。
世の中、いいこと、いい人だけではない。不注意は危険に繋がる。
しかし、知る事に最善を尽くして、注意は怠らず、それでも知らない部分を希望ととらえながら明るく前向きに生きる事。
ただの楽観主義ではなく、現実的に最善を尽くした上で希望を信じる姿勢。
万が一の時にも人を恨まず、全責任を決定者である自分が負うという覚悟を持つ事。
それがが本当の強さではないだろうか。

最初の段階で自分に負けて空白を「恐れ」に明け渡し、物質的力をもって、勝手に敵と名付けたものを力でねじ伏せる事が強さでは無いのではないか。

イスラエルがあの不毛の中東の地の一角を数十年で緑豊かな土地にしたと言うのは大きな希望だ。
努力次第で、砂漠を緑に変えて行けるという事だ。
戦いを教育に変えれば世界中でそれを始めて行ける。
しかし、場所を同じくしてイスラエルを始めとした世界中の地域で戦いをやめる事が難しいのが現状だ。

日本はもっと、生身の人間から世界を見よう。
そうしてもっと、笑顔で暮らせる人を世界中に増やして行こう。
日本中がそんな事の為に色々なやり方で働ける未来。
そんな事を夢見て。

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今回はFacebookで繋げてくれてのご縁。
紹介してくれた方も、お世話になった家族も直接の面識は無いのに温かく迎えてくれた。
本当にありがとうございました。

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