日記

【旅の始まり・樺太の思い出】日本縦断0日目

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祖母の服の中に潜り込み、胸元から頭だけ出して見る世界は、白い寒さが空から降ってくる不思議な世界だった。
「じいちゃんはまだかなー」
寒さの香りと、雪の落ちる静寂の音。
”じいちゃんを待っている”と理解することで精一杯のもどかしい思考。
真っ白な世界の冷たさは、祖母の温もりに包まれている自分からは、他人事の様に感じる。
バス停の前、時間が止まってしまったかの様な数分間。
これが、自分の一番古い記憶だった。
生まれ故郷、北海道の片田舎の思い出。

後部座席に座っている祖母は、今は、もう思う様に歩き回ることも難しい。
外出することも滅多にない。
どこかに一緒に行きたくても、なかなか首を縦に振らない。
しかし、この言葉で一緒に宗谷岬へ向かうことになった。
「もしかしたら、宗谷岬から樺太が見えるかもしれない」

祖母は樺太で生まれた。
ロシアの南下と共に、身の危険にさらされながら、北海道に逃れてきたのだった。
太平洋を望む海岸が、車の窓の外、後ろに流れてゆくのを見ながら、思い出話を聞かせてくれる。
「樺太の村には立派な妙見神社があったんだ。けど粗末にされちゃいけないから、逃げる前に燃やしてしまった」
「お父さんは立派な日本刀を持ってたけど、見つかったらうまくないから、川へ投げ捨てたんだ」
「お父さんは、林業や農家をやりながら、村長の役があって、いつも一年分の食料を備蓄して、足りない人がいれば分けていた。厳しくて、嫌なこともあったけど立派な人だった」

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子供の頃に北海道に逃れて以来、
祖母は樺太に戻ったことはない。

宗谷岬に着くと、
薄く靄がかかってはっきりとは見えないけれど、微かに陸地が見える。

「いい思い出になった」
祖母の笑顔が嬉しい。

出発の地に選んだ日本最北点は、祖母の故郷を望む場所。
祖母や曽祖父の若かった時代に想いを馳せる。
曽祖父が若かった頃、四国から樺太に渡るのはどんな気分だったのだろうか。
今のように、離れた場所の様子を知ることはできない。
簡単に飛行機で飛べるわけでもない。
ものすごい勇気だったのだろうと、尊敬する。

そうした先人の血が自分にも流れている。
そうした人々に支えられて今の自分がある。
自然と頭が下がる。

自分は何を見て、
何を子供達に残せるか。

祖母と母にお礼を言って歩き出す。
一番古い記憶を思い出しながら、未来を思う。

日本縦断の旅が始まった。

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【ご挨拶】
日本最北端、宗谷岬から、沖縄に向けて。
日本縦断スタートしました!

自分には夢があります!
日本人全員が、
世界の未来のために日本が果たせることの可能性を感じて、
世界に貢献するために、日本を豊かにし、
日本を豊かにするために、世界に貢献する。
文化を大切に、人と自然が調和した新しい時代の社会のあり方を世界に見せる。
日本がそんな国になる事です。

そこに明るい未来がある。
それは実現できると信じています!

今回、
日本列島を歩く事で、
日本人全員にメッセージを伝える事にどれだけ近づけるか分かりません!
考えても答えは出ないので、気合で行きます!!
実現に向けて、どうかお力添えを、よろしくお願いします!

そして、歩ききった暁には、
どうか、一度は着物を着てみてください!笑
美しく、いいものである上に、日本や世界のためにもなります!

道中、一緒に歩ければ嬉しいです!
徒歩で日程を合わせるのに工夫が必要ですが、講演などをやらせていただければ嬉しいです!

お会いできるのを楽しみにしています!
このような機会を与えてくださった皆さんに心から感謝します。
いい日々をお過ごしください。

日本最北端から、
愛を込めて。

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