着物について

優しさの連鎖

トルコ 着物

和服で旅をしていると、毎日何度も一緒に写真を撮るように頼まれる。
必ず喜んで一緒に撮ってもらう。
日本の文化や現状を尋ねられれば、笑顔で出来る限り丁寧に答える。
相手の話も喜んで聞かせてもらう。
すると、みんな本当に喜んでくれる。
「ありがとう。」と言ってくれるけれど、それを言いたいのはこっちの方だ。

世界中どこでも、多くの人が
「日本は素晴らしい。日本人は素晴らしい。」
と言ってくれる。

先人が築き上げたこの信用があるからこそ、みんないいイメージを持って接してくれる。
感謝してもしきれない。
そして、今こうして自分もほんの少しでも日本人として、世界中のすれ違う人とささやかな温かい関わりを持つ事で、きっといつか他の日本人と会った時に親切にしてくれるだろうと思うと、こんなに嬉しい事はない。

その国の人にいつか日本人が親切にされれば、その日本人は必ず日本でその国の人に会ったら親切にしようと思うだろう。

自分自身、旅の中で無数の人々に助けられた。
その度に、いつか返そうと強く思う。
日本に滞在中に駅などで考え込んでいる外国人を見ると、時間がなくても手を貸さずにはいられなくなった。
その外国人もいつか自分の国で同じ事をしてくれるだろうと思う。

こうやって個人単位で、国境を越えて親切の連鎖を起こして行けば、争う理由は自然と減ってくる。
小さな変化かもしれないけど、誰かの都合で煽動されて見た事もない他国民を無条件で敵視するなんて人は少しずつ減ってくる。

つい先日、カッパドキアで会った韓国人の旅行者に一緒に写真を撮るように頼まれた。
笑顔で応じて韓国語で話しかけると、その子は日本語がペラペラだった。
色々な話をして、どこかに行ったと思うと、ジュースを買って来て渡してくれた。
当然、自分もまた韓国人に会ったら何かをしてあげたいと思った。

中国人にもよく一緒に写真を撮るように頼まれる。
和服は美しいと言う。

今、日本とこれらの国は政治上の問題を抱えている。
実際に日本人と価値観が違う部分も多々ある。
現実の危険や利害、思惑から目を逸らしてはならない。
しかし、絶対に最終的な目標を見失ってはならない。
共存の道を模索する意外に、自分を守る術はない。
即大惨事になる事を避ける為に、外交ゲームはゲームとしてプレイしながらも、「お互い幸せに生きられる方法」を、最終で最善の策として常に念頭に入れておかなければならない。
力を持ちすぎた人類は、もう戦わない事でしか生き残れない。

中国人とこんな会話をした事があった。
自分「なんで食べ物を残すの?」
中国人「食べ物が全部無くなると言う事は、振る舞った側の用意した物が足りなかったと言う事になる。だから、残した方がもてなす側に親切で礼儀正しいんだよ。」
自分「なるほどね。意味が分かったよ。でも日本では残したら行儀が悪いんだよ。食べ物は命を戴いているから絶対に粗末にすべきじゃないし、農家の人にしても漁師にしても大きな苦労が背景にあるからそれを無駄には出来ない。作った人も味が良くなかったのかと心配してしまう。」
中国人「確かにね。そんな風に考えた事はなかったけど。本当にそれもそうだね。」
価値観や育ちが違っても、話せば解る。
時間をかければ解り合える。

NYで会った中国人とは一日中歴史や文化について語り合った。
スペインで会ったムスリムの人とは一日中イスラームと和の心について話し合ってその共通点の多さにお互い驚愕した。

今後、更に多くの人々が海外の人と触れる機会が増えてくる。
お互いに少しの親切を世代を超えて、土地を超えて、個人単位で交換していけたら。
良い変化の為の一つのきっかけになる。

愛情や親切心は
誰かにあげても消える事無く
形のない水の流れのように
場所を変えて存在し続ける
人から人へ受け渡される

そこに、お互いを理解しようとする心が加われば
もう友人以外の何者でもない

個人単位で少しずつ
そういう流れが増えて行く事を心から信じてる

数世代先には
どこの誰であろうと
最初から違いを尊重し合って
感謝の流れを繋げる事で
友で在れる様な社会になっている事を願っている

読んで下さったあなたの優しさに感謝しながら。
ありがとうございました。

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