時に人は言う
「心は共に」
この言葉は自分にとって大きな意味がある

人と会う、一緒に居るというのは
単純だけれど、曖昧な事だ

傍にいても心がそこに無ければ意味が無い
満員電車で人と密着していても
その見知らぬ人と一緒に居る訳ではない

心を感じなければ
例え愛する人と抱き合っていても満たされない
触れていても体という壁のせいで、どの道一つになる事は出来ない

逆に、触れていなくても
その人が目の前にいて、心を感じられれば満たされる
そのまま目を閉じても、そこにその人がいる事が分れば見えるかどうかは関係ない
やはりその人はそこにいて、心が通じていると感じていれば満たされる

それならばその間に壁が有ったとしても同じ事
何メートル離れるまで同じ事が言えるのか
触れていても体という距離がある
一緒に居るという事
その境界線は曖昧だ
本当は
そんな境界線は無いのだろう

どこまで離れようと
その人が今、地球上にいて共に時間を過ごしている
仮に地球上にいないとしても同じ事
その人と共にあると感じる事は出来る
もしも目を閉じようと、地球の裏側に居ようとその人を感じるなら
その存在と心を知っているなら
自分次第で今共に居ると心から感じる事が出来る

友達でも家族でも恋人でも
目に見えても見えなくても
生きていようと死んでいようと
自分の現実を認識するのは自分だけ
「その人と共にある」と心から感じる人を
否定する方法はどこにも無い

それが信頼というものだと思う

心は共にある
心からそう感じられたなら
それは真実以外の何物でもない
文字通り心が共にある事は出来る
そう感じられたなら
仮にもう二度と会えないとしても
ずっと繋がっていられる

そして、もしそう思ってくれる人がいるなら
自分は安心して死ぬ事も出来る
死ぬ瞬間に思う事
「ただ感謝を伝えたい、愛してると伝えたい。」
その人が自分を信頼してくれて、心が共にあるのなら
それを音にして伝え切れずに息絶えても
伝わったと確信していける

これが信頼というものだと思う

友達や家族、全ての愛する人へ
「心は共に」

体は地球の裏側でも
いつも本当の意味で傍に居る
俺は今そこに居る

ありがとう

心は共に