イスタンブール トルコ

イスタンブール 宗教、総理大臣、文化から考える

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イスタンブールの日々

トルコ・イスタンブール。
ヨーロッパとアジアに股がる都市。
ギリシャ、キリスト教、イスラム教、様々な影響が混じり合い、住む人々もまた多くの血のルーツを持つ。
日本から出発して、西洋人から見た新世界、新大陸を回って、ヨーロッパを通ってここまで来た。
徐々に現代の国際社会のルーツの深い所に近づいて行く。
感慨深い。

イスタンブールで過ごした数日を記す。

バスで到着。
早朝で朝靄が濃い。
ここがどこなのかも分らない。
まずは人に聞く事もせず、とにかく歩き回って現状を把握。
ATMを発見し、周りの売り物の値段を見て物価を確認し、適当な金額をおろす。
地下鉄を見つけて適当に乗ろうとするが紙幣が券売機に入らない。
崩す為に売店へ。
「水いくら?」
「1リラだよ。」
100リラを渡す。
95リラ返ってくる。
目を見ればわざとだと分る。
「何これ。」
無言で4.25リラを渡してくる。
結局、0.75リラの支払い

(ああ、久々にこういう土地に戻って来た。)
きっと元々1リラでもないし、指摘されて返すときも自分で言った値段を忘れたのか、計算が面倒なのか、嘘がバレる事も全く気にかけない。
世界人口から見れば、こっちの方が常識。
日本での常識は圧倒的少数派。
気にするほどの事じゃない。
ただ、今回はヨーロッパを通って来たから、この感覚は久々だ。

電車と船を乗り継いで、目的地へ向かう。
ボスポラス海峡。
アジアとヨーロッパを隔てる海峡。
歴史上どれだけの人々が特別な想いを胸にこの海峡を渡った事だろう。
現代では、多くのフェリーがこの海峡を結び、誰でも150円ほどで渡る事が出来る。

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以前、長崎で会った方に連絡を取るとタイミングよく会う事が出来た。
この方が数日間泊めて下さる事になった。
本当に有り難い。

翌日、安倍総理がイスタンブールで演説をするというので見に行く。
会場は人でごった返している。
日本が協力して作った地下鉄の為の海底トンネルの開通記念。
人々は熱気に満ちている。
何人かのトルコ人に一緒に写真を撮るように頼まれる。
写真を撮る時に、頭をスカーフで隠したムスリムの女性が腰に手を回してくる。
(宗教的に自分はこの人に触れて問題ないのだろうか。)
ヨーロッパではキスが挨拶だったけれど、イスラーム国家のでの振る舞いはまだ試行錯誤。

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会場は地下鉄の駅の前のスペース。
日本から来たお客さんだからと言って人ごみの中、前に通してくれる。

トルコ人の聴衆はほとんど現トルコ大統領の支持者達。
聴衆の層には若干の偏りも感じる。
安倍総理が日本の技術やトルコの努力に言及した時には歓声が上がる。
しかし、日本とトルコがアジアの両翼として協力して平和を目指そうという発言には殆ど反応がない。地下鉄の開通は嬉しいが、アジア全体の為になる事を考えるほどの余裕は無いように見える。
翌日の報道を見て、実際の話の内容と人々の反応を受けて、メディアが何を伝える為にどんな作為をするのかが少し見えてしまった。
情報は出来る限り誰の主観も介さないで得た方がいい。
人の意見を聞きたい時は人に聞けばいい。
さもなければ、現地でも映像でもただ自分で見た方がいい。

トルコの大統領のスピーチでは物凄い歓声が上がるが、原発設置についての発言には微妙な反応だ。
後に、数人のトルコ人と原発について言葉を交わしたけれど、賛否両論。
今まで見て来たどこの国の人も、現在と未来の経済と幸福度と安全性の不調和の中で混乱している。
心は同じでも、視野の広さや、どこまで先を見るかによって結論は正反対になり得る。
そうして、ただ大切な人を思う優しい心を持った人々が別れて戦う事になる。

ソマリアの大統領が来ていた事に驚いた。
ソマリアの現状とこの式典の意味合いを考えるとここに来ている事は意外だった。

翌日、街を見て回る。
アヤソフィア。
この地が東ローマ帝国であった時代に正統派キリスト教の大聖堂として立てられた。
オスマントルコ以降はモスクとして利用されて来た。
スペインでは逆に、かつてモスクだった物を大聖堂にしている物が多数あった。
ローマ帝国から見て西と東にほぼ同じ距離。
ヨーロッパ南部の西端と東端で対照的な状態になっている。これも興味深い。

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アヤソフィアでは同じ空間にキリストを描いた多数のモザイク画とイスラム教の装飾が混在している。
当然世界中から観光客が訪れる。キリスト教の観光客も、イスラム教の現地人もお互いに何の違和感もなく共に観光地としてこの場所を楽しんでいる。
互いの間に悪感情は見られない。

この場所で宗教に対する見方が少しだけ変わった。
これを見ると、文化としての宗教だけならば、大きな問題は起こらない事がわかる。
善良な人々がただ信じる方法で祈りを捧げているだけだ。
歴史上、そして現在も起こる宗教に関わる戦争や虐殺は例外なく政治的意図が強く関わった場合に起こっている。

十字軍がエルサレムに進行した当時、平和主義で異教徒に寛大なイスラム教国家はこの地でそれぞれの信仰を許して共存していた。当初、十字軍が来て残虐の限りを尽くす理由が彼らには理解出来なかったという。しかし、これはキリスト教の名を利用した欲望の為の行為でしかない。彼らはキリストの教えを行動で否定している。

現代のイスラム原理主義。テロのイメージも強いが、ムスリムの中でも少数派で彼らもイスラム教徒からすらコーランを理解していないと批判されている。
イスラム教の教えでは、男女差別を否定しているが、現実にはイスラム社会の中で女性に惨い仕打ちをしている部分も多々ある。

日本ではアメリカとの関係による情報の偏りで、イスラム教についての誤解が物凄く大きい。
シリアの人だって、今まで会った人々は他の国の人よりも温かく、優しいし、近隣諸国からもシリア人は特にいい人が多いと言われている。

当然の事だが、キリスト教が悪い訳でもイスラム教が悪い訳でもない。
個々の心が問題だ。
宗教は教えだ。
その中で実際に何を経験し、何を目指すか。
どんな立場だろうと、それぞれの視野が広くなる事が必要とされている。

他にもここ数日で様々な事があった。
トルコ人の剣道教室を見学に行ったり。
現地の人が泊めてくれたり。

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ここの人々は、大雑把で豪快だけれど、同時にどこかシャイでもある。
日本に興味を持った人も比較的多い。
文化にせよ物にせよ色々な物が混ざっていて面白く、落ち着きがない。

日本のような、一つの民族が長く定住している土地は中々ない。
日本では、それによる深い人と土地との間の安定感を感じられる。
根付くという感覚。
しかし、この土地との調和も近代化の波に飲まれて薄れ、過度に人工的で時代の風に吹かれれば飛びそうな物が増えて来た。
森も海も川も手を加えられた偽物が増えている。

色々考えさせられる。

これから少しの間、トルコの田舎を見て回ろう。

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