暗闇の向こうにあるはずのもの。
穏やかな海と、空。
その間を光の粒がひも状に連なって、
吊り下げられて水平に伸びている。
その下を、別の光の粒が、列をなして左右に行き交っている。
明石大橋。
巨大な建造物を見るといつも思うこと。
しかし、国生みの伝説の地。
イザナギ、イザナミによって最初に生み出された島。
そのおのころ島だと言われる淡路島の光る輪郭を眺めながら、
いつも以上に、思う。
「古代をここに生きた人がこれを見たら、どう思うだろうか」
「人間の仕業だと信じられるだろうか」
「彼らはこの光景をどう表現するだろう」
雲がかかる夜は、ひときわ暗くなる。
暗闇の向こうにあるものを恐れずにいられることが、
また日が昇り、この暗闇に光が満ちると疑わずにいられることが、
どれほど幸せなことだろうか。
幼い頃から、どれほどの夜を恐れてきただろう。
暗闇、見えない世界は、
恐れをはっきりと映す鏡。
何を信じ、何を信じられないか。
暗闇にはっきりと浮かび上がる。
世界中の無数の暗闇を経て、
かつて恐れたものは、
消えずに、ただ、
恐るべきものでなくなった。
絶望は、
絶望のままで希望になった。
今は暗闇の鏡の中での呼吸が一番深く通る。
頬に雫が当たる。
パタッ、パタッ。サァー。
街灯に照らされて、無数の雫が線となって落ちるのが見える。
ちょうど横にあったバス停に腰掛ける。
どれほど座っていただろう。
ふと、
メキシコの夜を思い出す。
拙いスペイン語で、ローカルバスを乗り継いで国境を目指した日々。
「国境付近は本当に危険だから気をつけろよ」
「昨日、ここで武装した奴らにたくさんの人がさらわれたよ」
「俺はここに住んでて、たくさんの友達が殺された。」
思えば、恐い夜はたくさんあった。
ガテマラの森はゲリラが潜むという。
ヒマラヤには山賊が出るという。
エジプトやイスラエルでは近所で爆破が起きた。
アフリカでは無数の友達が追い剥ぎに遭っている。
毎日、ブログに言葉を残し続けた。
なぜだったか。
毎日、死ぬかもしれないと思っていたからだった。
もし死ぬなら、後悔だけはしたくない。
せめて、未熟なりに、
これまでに学んだことをどこかに残して、
たった一人でもいいから、
誰かの役に立ててもらいたい。
死を意識しながら考えることはなんだったか。
「どうしたら人が幸せに暮らせるか」
「どうしたら、戦争や格差や環境問題が解決できるか」
出てくるのはそんなことばかり。
そして、
「心の底から、愛したい」
それだけだった。
人間の底にはそれしかないとつくづく思い知らされた。
それを知って、絶望は希望になった。
世界中の誰を見ても、全ての動機はそこにあった。
「愛されたい」
という人も、
「愛されたい」のは「愛したい」から。
愛されないと、愛してはいけないと思い込んでいるから。
だから愛されていると感じるために、渇望する。
それが時に、欲となって破壊を生んでしまう。
「無条件の愛」なんて言うと、凄い事のように聞こえる。
しかし、それは愛を作り出す力ではなく、
愛したがっている自分の心に、
「愛してもいい」と許可を与えるだけのこと。
もともと全ての人の中に無限にあるものを、
明るみに出してもいいと、
恐れる自分を諭すこと。
なぜ、
それを明るみに出すのか。
何かを愛する瞬間が、
「人にとって最も幸せな瞬間」だから。
恐ろしい暗闇に晒されて、
人のことを本気で考えられる時間は、
何よりも幸せだった。
今日が最後かもしれないと思う時に、
人を愛するのは、
最後の時間を一番幸せに過ごしたいからだった。
それが、人の本性。
安全で、死が遠くにあると、
見えなくなることもある。
死が近くにありすぎて、
混乱してしまうこともある。
それでも、
水が高いところから低いところに流れるように、
人は人の本性に向かって流れてゆく。
だから、
多くの人が信じる宗教は愛を説き、
民衆は正義を求めて叫ぶ。
親は子を守り、
若者は家族や国を守るために命を捧げる。
どんな人間が笑顔で生き、
どんな人間が苦しみの中に不平不満をつぶやくか。
社会を見れば、
はっきりとわかる。
だから、希望しかない。
だから、人が好きだ。
自分ごときが、何をしてもしなくても、
大したことはない。
人の本性は変わらない。
ただ、多くの人と一緒に、
美しい世界を見ていたい。
子供達の笑顔を見ていたい。
今は暗闇が心地い。
夜が明けてきた。
歩き出そう。
瀬戸内海を西へ。
またいつか、生きている間に会えることを楽しみに。