日本縦断の試練、
それは代わる代わる訪れる。
日焼けで全身が真っ赤になり、
温泉に入れば全身を激痛が襲う。
草履で歩き続け、
足の様々なところが水ぶくれになる。
膝や足首が痛くなることもある。
筋肉痛も日常茶飯事。
テントや着替え、パソコンに非常用の水や食料を担ぎ続けて、
肩や腰は悲鳴を上げる。
日照りの日はアブが湧いて座って休めない。
雨の日も民家もない田舎道には腰を下ろせる場所はない。
一日の終盤には、
一歩一歩が自分との戦いになる。
しかし、日焼けは治り、太陽に強くなる。
水ぶくれも、痛みの先により強い皮膚が作られる。
脚力はますます鍛えられる。
なんでもそうだ、
最初は痛くてきつい。
そんな中、
数日前に中山峠を越えた。
台風で土砂降り。
前日はバス停で泊まり、
朝5時から、一日で約40kmの峠越え。
峠道は歩行者が全く想定されていない。
歩道の全くない橋やトンネル、
冷や汗をかきながら超えてゆく。
この道を最初に開いたのは、
本願寺の人々、アイヌ、北海道に移住してきた伊達藩の人々だという。
当時、明治新政府は国家神道を定め、仏教を排斥しようとしていた。
しかし、資金繰りに窮して政府は本願寺に依頼した。
伊達藩は戊辰戦争時に薩長に従わずに立場を弱め、
北海道の未開の地であった伊達に移住してきた。
2万3000石から58石に減らされて食うにも困る状態であったところ、
この仕事に従事することになった。
そして、この地のことを一番よく知るのは当然アイヌの人々だった。
熊や狼のいる山での作業は楽ではなかった。
“山に寝るときは飢えた狼襲い来たりて夜通し眠ることできず。
それでも益々勇気を鼓舞し力を尽くしモッコを負って土を運び、斧を採りて木を伐り、堤を築き橋を架す。
日暮に到れば即ち木を集めて火を焚き暖をとり、樹陰に露を凌ぐのみ。
石を枕し、雪を褥として千辛萬苦、良く功をなせり。“ (北海道通覧・久松義典著)
ゆっくりと歩いていると、
道が生き生きとして語りかけてくる。
普段感じないことが見えてくる。
この地で生きては死んでいったご先祖様に思いを馳せる。
普段何気なく過ごしているこの土地で、
多くのことが起こってきた。
北海道の道の多くは、囚人が過酷な労働の中、
次々に亡くなりながら開いた道だ。
土砂降りの中、
台風による洪水警報が鳴り響く夕方、
ようやく峠を越えてどうしようかと考えていると、
どこからともなく声が聞こえてくる。
「ケント~!!」
高校の同級生だ!
奥さんの実家から帰る途中だという。
そのまま乗せてもらい、旧友の家に避難させてもらう。
天の計らいは本当にありがたい。
================
もしも道中、お会いする機会があれば、
その土地の歴史などを教えていただければこの上ない幸せです。
いつもありがとうございます!