犬と話す方法に学ぶ人間関係

「そんな事言っちゃだめ!」
その時、自分は犬に向かって適当な事を言っていた。
「犬が混乱して人間の言葉が分らなくなっちゃうでしょう。」

彼女はニュージーランドにいた頃の友達。
今チェコで彼女の家族にお世話になっている。
お父さんはバスケットボールの元チェコ代表。ローマオリンピックに出場したらしい。心も体もでかい。家族の皆は本当に温かい。

彼女は犬を飼っているのだが、この犬は本当によく言う事を聞く。
行けと言われれば何処でも指示通りの場所に行くし、待てと言えば待つ。
何かを捕まえる様に言えば捕まえる。
言われればその人を軽く噛んで追い払ったり、指示されれば細い木を噛み倒す。
言葉を良く理解してその言葉の通りに動く。
その割に、飼い主を恐れる素振りは一切ないし、彼女もしつけの為のお仕置きをする訳でもない。
彼女とこの犬は本当に会話が出来ている様に意思疎通が出来ている。

こんな犬は見た事がない。
それは素敵な事だし、何が違うのだろうと数日間考えていた。

「そんな事言っちゃだめ!」

こう言われた時ハッとした。
自分は言葉に気をつけているつもりだったけれど、気付けば犬を人間よりも侮っていた。
意味のない心のこもっていない言葉をかけていた。
言葉の死体を投げかけていた。

思えば彼女はいつもその犬に本気で言いたい事を言っていた。
何かを指示する時も十分な理由がある事だけだった。
その犬が、一家族として、群れの一員として、一匹の犬として、当然やるべき事を指示していた。
その犬にとっては、当然やるべき事だし、仕事のやりがいもある。役に立っているという充実感もある。
言葉にはいつも魂がこもっていて、意味の有る事を言う。だから犬は信頼して一言も逃すまいとよく耳を傾ける。その集中力が、どんどん言葉を覚えさせる。
彼女は犬にとってただ何でも言う事を聞かせる主ではなく、群れがうまく機能する様に当然の指示を出す信頼出来るリーダーだった。
親友であり、楽団の指揮を執る指揮者のような物だった。

そんな関係をつくるには、当然多くの時間を共に過ごさなければならない。彼女はその犬の歩き方や素振りで、何処に痛みがあるとか、どうしてそういう動きをするかとか言う事をよく理解していた。

その動物の生態や本能、心をよく見て理解した上で、自分の心も純粋にして向き合えば、動物と話をする事が出来るという事がよく解った。

そして、これは人と人との関係でも全く同じ事だ。
普段我々は「言語」に甘えてこの事を忘れがちになっているのではないか。

子供の頃を思い出す。
子供だからといって他愛もない言葉を口先だけでかけられるのは気持ちのいい事じゃない。
子供だからといって頭ごなしに言う通りにさせられるのは気持ちのいい事じゃない。
口先だけの会話は嫌だし、理由の解らない事や、意味の感じられない事をするのは嫌だ。
そういった関係を強いる「大人」は信用出来なくなる。

会社や組織でも同じ事。
立場や権力や言葉に甘えて大切な事を見失い易い。

その上、自分の言う事を一番近くで聞いているのは自分自身。
魂のこもらない言葉を産む度に、その言葉を自分の心に浴びせかけて心を薄めてしまう。
気分の悪い言葉を放つ度に、自分の心が一番近くでその影響を受ける。
人間社会が言語と共に生み出した本質のない言葉が飛び交うような環境に身を置いて、自分自身もそれに与してしまえば、いつの間にか心が言葉に支配される様になってしまう。

普段から自分を隠さず、嘘をつかず、心のこもった言葉をかける人に出会った事が在るだろうか。
そういう人は、ある意味動物のような、それでいて深く空の様に突き抜ける目をしている。
その言葉は力強い。

言葉と心は密接に係わり合っている。
心が言葉を正す事も、言葉が心を正す事もできる。
動物との関係も、人間との関係も根底を流れる物は同じ。
機会がある時に、苦労して培った常識を少しの間脇に置いて、動物や子供達に本当の人間関係を学ばせてもらうのも悪くはないのではないか。

動物と心を通わせるほど深く、人と心を通わせる事が出来たらどんなに素晴らしい事だろうと想像する。

着物 チェコ