バナナ農場 オーストラリア 日本について

バナナの収穫と日本の気付き

3年前、オーストラリアに着いてすぐにバナナの収穫の仕事を貰った。この時殆どお金を持っておらず宿代を払う事も出来なかった。その状況を知った農 場はまだ一日も働いていない自分に宿代を貸してくれた。有り難いと同時に不思議に思っていたが、「命の恩」がある農場に報いる気持ちで一生懸命働いた。そ して気付けば収穫チームを率いる立場になっていた。
この仕事は60キロから80キロになるバナナの大きな房を木から切り離し、担いで運ぶという作業を一日中続けるという重労働だった。この仕事場で世界中か ら集まっている労働者を指導し、率いる立場として働きながら周りを見た時、なぜ農場がまだ働き始めてもいなかった自分にお金を貸してくれた、つまり「信 用」してくれたのかがはっきりと解った。
この重労働を始めても、体の比較的小さいアジアの国々の労働者は殆ど残らなかった。自分が働いた時期だけで日本以外のアジアの国々の労働者を20人以上見 たが一日以上保ったのは10分の1以下だった。しかし体の大きさも強さも変わらない日本人は7割以上残るのだ。理由の大半が体の故障だった為、仕方のない 事だが、一生懸命仕事を教え、励ましても半日で去って行ってしまうのを見送るのは何とも寂しい物だった。
ヨーロッパ人など、体が大きく強くて仕事をこなせてももキツい事はキツいので愚痴が出てしまう事もあるし、割に合わないと働かなかったり辞めてしまったりする人も居た。
そんな中、日本人の労働者は体中を激痛が襲っていても笑顔で楽しみながら仕事をしていた。最初の一週間は朝目が覚めればベッドから起き上がる事すら難しい ほどの痛みが大半の人を襲う。それでも笑顔で仕事場に来て、やりがいを感じている事がはっきり分かる笑顔で毎日働いていた。それはもはや「賃金の為の労 働」を超えた働きだった。
不作で苦しい時期にも、労働者からの不満も出る中、バナナを探しながら一日中農場を走り回りながら苦しいはずなのにいつも笑顔ですぐ後ろについて来て支えてくれたのも日本人だった。その時には感謝と共に感動して涙を流してしまうほどだった。
その時にはっきりと解った。「だから農場はまだ一日も働いていない自分を信用してお金を貸してくれたのだ。」そして改めて農場に感謝をし、その時の同僚に感謝をし、そして信用したくなるような働きを代々その土地で続けて来てくれた日本人の先輩たちに感謝した。
ここで確信したのは日本人には「決めた事をやり抜く」という強さがある事。そして「忍耐」という言葉が日本語特有の意味を含んだ物であるという事。そして それらが随所に現れているということだ。それは剣道、華道、茶道など道がつく物を始め、分野を問わずどこまでも際限なく極め続けて行くという文化、姿勢 だ。
(ここでは割合の話をしたが日本以外の国から来た本当に良い同僚にも恵まれた。イギリス、フランス、エストニア、オーストラリア、カナダ、フィジー、韓国、台湾、中国の仲間たちを尊敬すると共に心から感謝している。)

ここで日本人が大好きになった。

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