欲について

欲と謝罪

世界の人のことを考える。
地球の環境を考える。
そのために色々なことをやってみる。
すると、時々「すごい」なんて言われる。
全然そんなことはない。
むしろ逆だ。
すごくなさすぎる。

自分のことを後回しにして、
人のことを考える。
それは、無我でも無欲でもない。
愛着のあるものが人と違うだけ。

生命に無欲はない。
生命は動き
動きは意思
意思は欲
欲の終わりは、生命の終わり。

生きている限り、
意識のある限り、
人は何かに執着して生きている。
ただ、何に執着するかが違うだけ。

好みの問題。

世界中の人が笑顔になってほしい。
そんな一人でできないことを願うのは、
様々ある好みの中でも、
わがままな、駄々っ子の部類。

でも、世界中の誰が泣き叫ぶのも嫌だ。
そんなの終わりがないし、無くせないのもわかってる。
陰陽は互いの存在のに依存する。
悲しみがあって、喜びがある。
死があって、生がある。
死や悲しみは受け入れなければならない。
だけど、単に、
助けられる人は助けたい。
悲しんでる人を笑顔にしたい。
やはり、駄々をこねてるだけ。

子どもたちは可愛いし、
木々や動物たちは美しい。
壊したくない。
壊されたくない。

それは「破壊」では無く、
単なる「変化」だとわかってる。
それを破壊だと悲しむのは、愛着と自我。
でも嫌だ。
それはわがまま。
でも嫌だ。

両親もご先祖様も好きだから、
もらったものは、とても大切で、
失いたくない。
故郷の文化に無くなって欲しくない。
それも、個人的な愛着。

社会が崩壊したり、
環境が悪化して、
子どもたちが生きられなくなってしまったら嫌だ。
そして、それは実際に起ころうとしている。
なんとかしたい。
でも、人も地球も宇宙もいつか終わる。
そして、始まる。
それも、わかってる。
だけど、今生きてる人は大事だし、
その子どもが大事だ。

子どもたちに、
生きて綺麗なものを見てほしい。
愛する喜びを感じてほしい。
それは、
自分が子どもの頃、
綺麗な花を見つけたら
「見て見て〜!!」
と、家族や友達に見せたくなったのと同じ感覚。
それで笑顔が見られたら嬉しい。
たったそれだけの理由。

これが俺だ。
このわがままが通らないなら、
死んだ方がマシだから、
命をかけてでもやってしまう。

だから、執着に苦しめられて、
醜く足掻く。
悩んで、転んで、迷惑をかける。

最後まで、守りたいものすべてを守ることなんて、
すでに矛盾してる。
なのに、
賢く諦めることもできず、
頭が悪い。

子どもすぎて、
すごくなさすぎる。

時々、
生きてることが申し訳なくなる。

世界や環境や人のことを考える。
それは無欲じゃない。
逆だ。
欲を捨てられず、駄駄をこねる子ども。

俺はその程度。
でも、世界は優しいから、
これまで、それで生きていいと言ってくれてきた。
有難い。

だから俺は、
人のうちはその程度でいい。
ただの人でいたい。

人じゃないのは、
どうせ、人じゃ無くなる「その時」が来たらでいい。

どうせ、命あるうちは、何かに執着する。
なら、自然に執着するものに固執する。

欲にまみれて、
毎日、人や世界や環境のことばかり考えて、
自分勝手に生きさせてもらう。

それが好みで、愛着だから。
四六時中、世界を考えて行動するだけ。

凄そうなフリをしてできることは、
俺には、何一つない。

時々言われる
「すごい」

きっと、
期待してくれたり、
応援してくれている人がいる。

だから、
正直に謝りたい。

俺は、すごくもなければ、立派でもない。
弱い。
だから、みんなで一緒にやりたい。

ごめんなさい。

ありがとう。

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