人の本質は何か。
それは愛だ。
その証明は、
「今、人類がここに存在している」
これだけで済んでいる。
人という種は、
生まれたての頃は、
助けてもらわなければ生き残れない。
ではなぜ、親は子を助け、育てるのか。
愛するからだ。
その愛は親子にとどまらない。
人は愛を家族に抱き、
友人に愛を抱く。
まだ見ぬ人や、
自然界にまでその愛は及ぶ。
もし子どもを愛するならば、
その子の子を愛すのも当然の事。
どこまで遠い繋がりまでを愛すのか。
明確な境目はない。
たどれば人類は皆血縁で、
生命すら全てが遠い親戚で、
全宇宙が同じ一点から生まれた家族なのだ。
この愛がなければ、
もしも性善説が間違いで、
人は我欲、利己的な合理性を常に最優先して生きる種ならば、
人は子を助け育てず、
とうの昔に滅び去っている。
仮に、自分の遺伝子を残すために、
我欲として子どもを守るのだと言う人がいても、
遺伝子を守る事の定義を家族や親族、
遠い親族である全人類に広げない合理性はない。
争いや戦争は絶える事がない。
しかし、それもどうしようもなく、
守るものを片方しか選択できない窮地に追い込まれての事。
正しいか間違いかは別として、
きっかけはやはり愛なのだ。
人の本質は愛。
だからこそ、
人類はここまで命をつないで生きて来た。
幾度となく世代を超えて、
人はその本質を持ち続けた。
だからこそ我々が今ここに生まれ落ちている。
ここに人類の種が存在する事。
これが既に、性善説を証明している。
もちろん、子を愛さない人もいるだろう。
人を害する事を喜びとする人もいるかもしれない。
しかし、それが人の本質ではないからこそ、
水が高いところから低いところに流れるように、
多くの人は人を愛し、我々は生き残ってきた。
諸行無常も真理。
この世に変わらぬものはない。
人の本質が愛でなくなる日も、
もしかしたらくるかもしれない。
その時、人類は瞬く間に滅び去る。
それも悲観する必要はない。
人も、地球も、宇宙もいつかは終わりを迎える。
しかし、
今この瞬間、
我々がここに存在しているこの瞬間は、
人の本質が愛だと完全に証明されている。