希望について

【生きている限り、希望しかない。】

ー穏やかな強さー

繰り返し、繰り返し、

この動画を何度見たかわからない。

なんて強いんだろう。

強さとはこういうことを言うのではないかと心から思う。

数日、閉じ込められて不安もあったと思う。

なのにこの笑顔で、

「チリ津波の時も体験しているから大丈夫です」

 

ニュースを見ている人からすれば、

彼は悲惨な目にあってようやく救出された被害者。

心配な思いで見守る。

そんな、こちらが心配している人から、

不安な様子もなく、

気負いや力みもなく、

「また、再建しましょう!」

と言われる。

こちらが絶望したり、言い訳したりすることなんてできなくなる。

失っては築きあげてきた。

希望は常にある。

そんなことを背中で語られているように感じる。

 

そして、言葉の通り、

大事ではなかったかのようにすっと立ち去ってゆく。

 

なんて強いんだろう。

自分もこうありたいとつくづく思わされる。

 

ー生きている限り、希望しかないー

「希望」という言葉について、いつも思うことがある。

「生きている限り、希望しかない」

生まれてくる前はみんな何も持っていなかった。

ゼロから存在をもらった。

ならば、どんな状態でも生きている限り、プラスでしかない。

ゼロからいろいろなものを頂いて今に至る。

頂いたものをどれだけ失っても、

プラスが減るだけで、プラスであることには変わりがない。

 

それ以上に、

存在しているということは、時間が進み、様々な出来事の中で生きるということだ。

良くも悪くも、全てを予想できる人はいない。

全ての可能性を肯定も否定も絶対にできない。

絶望することも自由。

しかし、完全に希望がなくなるということはない。

希望を持つか、絶望するかは、

常にどちらも可能なことで、ただ選択する態度に過ぎない。

 

希望は望み、願うもの。

命が求めるもの。

ならば生きていく上で希望を持たないメリットなんてない。

生きている限り、必ず希望は残されている。

 

痛みや苦しみを感じることはある。

挫けそうになることもある。

そんな時に力強く立ち上がり、進む姿に人は心を打たれる。

だから自分はこの動画を何度も見てしまうのだと思う。

苦境にあればこそ、人に大きな希望を与える機会でもあるのだと感じさせられる。

 

生きるということは希望そのもの。

 

この日に起きた出来事だけでなく、

様々な悲しみや苦しみの中で亡くなった方々を想うと胸が痛む。

けれど、想像する。

彼らにも愛する人がいただろうと。

そしてその愛する人の幸せを願っているだろうと。

だから、生きている我々は希望を見つめて笑顔で生きていたい。

この日に想う、改めてこの文章を読んで下さっている皆さんと共に、

希望を持って進んでいきたいと。

 

街を歩いていると無数の人とすれ違う。

世界中の人を思う。

きっとそれぞれに口には出さない痛みや苦しみを抱えている。

それでも生きて進んでいる。

生きているということは、諦めていないということ。

人知れず、強く生きている人々のことを思うと涙がこみ上げてくる。

 

生きている限り、希望しかない。

今日も一日、生きられる幸せを噛み締めて、

目の前の人と優しさを交わしながら、大切に過ごしたい。

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伊藤研人

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