希望について

『本物の希望は、いつも絶望の傍に』

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今、世界は無数の問題に直面している。
自然は破壊され
食料は汚染され
戦争は終わらず
貧困や飢餓が多くの土地で起こっている
人類は自らの首を絞めている

表面的な豊かさの概念に洗脳されて盲信して
自分自身がその一部である生態系に対して
人類が自爆テロを行っているような状態

なぜなのか。
社会のシステム
それが出来てきた歴史
自分も含めて、そこに関わる一人一人の
欲望や無知や弱さ

ほんの小さな問題
それが起こる因果の根の深さ

知れば知るほど
人は絶望に目の前が暗くなる
問題はあまりにも大きく
自身はあまりにも小さい

感性が豊かで矛盾をいち早く感じる人ほど
子どもの頃に違和感を表現して孤立する
その人の賢明さが、その人を沈黙させる

現実を直視すればするほど
絶望は大きくなってゆく

しかし、絶対に間違いのない事がある。
生きている限り希望はある!
どんなに大きな絶望の脇で、
その光が小さく弱くなっても、
その光は必ずそこで輝き続ける。

この世界で何一つ100%確実な事が無いように、
希望を失くす術もない。

目の前が絶望でいっぱいになることは、
苦しく、寂しい事。
しかし、そんな中で小さな希望を見つけたなら、
それが本物の希望だと思う。

絶望を知らずに希望を見る事は、
希望の存在を知ることで、
その希望がなんなのかを知る事ではない。

絶望を直視して、
そこに見える希望が小さければ小さいほど、
それをつかんだ時には、
それがはっきりとした「道」になる
それは細い光線のようにどこまでも真っすぐに貫いてゆく。

だから、
もしも自分が小さすぎると感じても、
ただ小さな希望のある方に進んで欲しい。
絶望を知れば知るほど、
その人が希望を見つけた時には強い光を放つ
絶望を知れば知るほど、
本当は、それが大きな希望になる。

その道で、
本物の仲間と出逢う。
互いの命を預け合えるような仲間に。
それは互いの本物の希望をより大きく強い物にする。

その希望が束になれば、
人はきっと、
子どもたちに美しい世界を渡してゆける。
人や自然を愛して命を繋いでゆける。

人は世界中どこでも、
腹の底から求める物は一緒なのだ。
愛し合いたい。
平和で幸せに暮らしたい。
ただ、その方法が分からないだけ。
しかし、もしそれを見極めようとすれば、
そこに大きな絶望が立ちはだかる。
そして、欲や盲目がその現実と絶望から目を背けさせる。

もしもあなたが絶望を感じているとしたら、
きっとそれ自体が大きな希望。

希望を感じられないから絶望と呼ばれる。
それは苦しいこと。
けれどこれだけは忘れないで欲しい。
どんなに小さくても、
どんなに弱い光でも、
そこには確かに希望が在る。
そして、それこそが本物の希望。

いつかその希望をつかんだら、
それまでに感じた絶望の大きさが、
そのまま希望の大きさになる。

強く揺るがず、どこまでも貫いて、
他の希望と惹き合って、
世界を照らす。

見えなくてもそれはある。
ただ忘れないでいて欲しい。
希望は必ずそこにある。

道は違っても、
同じ方向に希望を見て、
共に進んで行ける事を願って。

そして世界中で、
より多くの希望が見いだされて、
それがハーモニーを奏でる事を願って。

読んで下さってありがとうございました。

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また一人、尊敬する仲間が先立ちました。
誰かがその仕事をしなければ多くの人々が危ない。
しかし、その道を行けば確実に命を縮める。
そういう事を自ら買って出た人でした。
地位も名誉も命も投げ打ってでも、
希望を捨てずに、真っ正面から突き進む人でした。

今までは、こう言う時、悲しく悔しかった。
しかし今はただ、「先に行った。」
そう感じます。
心が冷たくなったのだろうか。
その人を大切に想っていなかったのだろうか。
そう思ってしまうこともありました。
しかし、自分もいつかは命を終えます。
今はその人の為にも、
その人が愛した物の為にも、
希望を見つめて真っすぐに進むしかありません。
いつからかその覚悟が確固たる物になっていたからでした。

この命がここに繋がるまで、
先人が希望を捨てなかったから、
今自分はここにいます。

自分も、
生きている限り、
絶対に希望を捨てません。
それがどんなに小さくても、
笑って突き進みます。

いつかは必ず迎える死。
遅かれ早かれ、
その時、次の命に、
希望を手渡せるように。

自分がそれを手渡してもらったように。

どうもありがとうございました。

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