ルンビニ 世界について

『ブッダ生誕の地 人類としての悟りの時代』

ルンビニ ブッダ 人類の悟り

ブッダの生まれた土地、そして彼が王子時代を過ごした土地に行ってきた。
幾度となく、物語や本で親しみ、想像を繰り返したその場所。

かつて天竺と呼ばれ、人生や命と引き換えにするほどの覚悟と共に法顕や三蔵法師が訪れた土地。
途方も無い苦労の末に中国で発展した仏教。
それが日本に渡る時もまた、多くの人が命懸けの航海をし、実際に多くの人が命を落としながらの事だった。
初めて仏教が日本に伝わったのがブッダ誕生後約1000年。
その後、鑑真が日本を訪れ、最澄、空海が中国に渡って仏教の教えは深まり変化してきた。

しかし今、その憧れの天竺に至る事の何とたやすい事か。
そして数千年の伝言ゲームを経て変化し続けた資料ではなく、あらゆる種類の資料が目の前にある。
更には、そういったオリジナルに近いブッダの言葉から、各時代の中で解釈された各国、各宗派の教えまで、飛行機やインターネットを介していとも簡単に世界中を駆け巡り、翻訳されて、まさに我々の目の前にある。

実際にその土地を目の当たりにすると、やはりイメージとは違う。
しかし、なるほどと思う。
現地の資料を直接翻訳したものに目を通すと、自分の知っていた物語と違う所も多々ある。
そこでまた、中国語に翻訳された時、日本に渡った時の人の心を垣間見る。

中国で仏教を発展させた人々、そして日本で各宗派を開いた開祖、最澄、空海や日蓮など。そういった人々が今のように実際にその土地に行く事が出来て、あらゆる資料をいとも簡単に手にする事ができたなら、日本の仏教は今のような教えになっていただろうか。
「袈裟」一つとっても面白い。ブッダや当時の僧侶が赤土色のボロ布をまとっていたことから、サンスクリット語で「混濁色」を意味する「カシャーヤ」という言葉を由来としている。今でもここの僧侶はこういった色の布を身に巻いている。中国、日本に伝わるにつれて「袈裟」として豪華な布地や装飾が施されたものが着用されるようになった。
良い悪いじゃない。
ただ、彼らが現在得られるほどの情報を持っていたなら、思想も行動も全く違った事になっていたという事に議論の余地など無い。

なんと言う時代だろうか。
目を開くだけで瞬時に、嘘や本当、織り交ぜてあらゆる種類の情報が世界中から手に入る。
語学を学ぶだけでその場にいて世界中の情報にアクセスする事が出来る。
行こうと思えば、世界中どこにでも当時とは全く比較にならないコストとリスクで実際に足を運ぶ事ができる。

日本人はこれらをまだ甘く見ている部分があると思う。
変化は加速している。

インターネットはもはや「娯楽」ではない。
いかに情報の質を見極めるかと言う技術が深刻に求められ、バーチャルの繋がりと現実世界での繋がりの関係性のバランスを取る事が人間として必要不可欠になっている。精神の健康、人間としての生存に欠かせない分野になる。その為の学問も生まれてくる。

語学はもはや「特殊技能」ではない。
「常識」と言う物の意味する所が変わった。日本の共同体の中での「常識」と、国際社会で当然知られる事を期待される「常識」は全く違う。隣近所の人と関わるくらいの感覚で、世界中の人々と交流しなければならない時代がもう目の前にきている。

海外旅行はもはや「趣味」ではない。
世界規模の活動を、物流、エネルギー、経済、戦争などあらゆる分野で行っている人類の一員として、逃れようもなく日々の生活に密接に関わってしまっている世界中の現状を知る事は、我々人類やその子孫が生き残る為の現実的で合理的な振る舞いを日常的に行うために必要不可欠な事になってきている。この利便性や大きなエネルギーを享受する我々にとって「知る事」はもはや「当然の責任」なのではないか。

これらを意識しなくても生き残る事が出来るかもしれない。
しかし、その場合、世界規模の仕組みを担う人々と、自分の目の前の生存しか考えない人々の差別化は一気に進む。
さながら、羊飼いと家畜の群れのような様相になる。
これは陰謀論など関係なく、誰も意図しなくとも当然の成り行きとして起こる可能性の極めて高い事だ。
安全な方向性を広い視野と知識で決めて羊の群れを導く羊飼い。
何も考えずに、羊飼いが自分達から何を搾取しているのかなど気のもかけず、与えられるままに餌をむさぼる羊達。

我々の時代はまだいい。
この格差が広がり続けた結果、我々の子ども達はどういった扱いを受けるのか。
人事じゃない。甘くない。

ブッダは悟った。
あらゆる物を観て、何も観ない。
自分の細胞から世界の隅々まで繋げて、同時に観て、一体になって、その物になった。
一つになった。

今の時代、地球と言う一つの生き物を見ると、人間と言う細胞を介して世界中の情報や物質が高速で行き来している。
それはさながら、ブッダという人が自身の体の細胞の一つ一つに意識を向けて高速て繋がり、理解した過程と酷似しているのではないか。

放射線を受けてガンが発生する過程は、放射線によって傷つけられた細胞が、間違った箇所と結合して修復してしまうことから起こる。
それは今の人類が目先の事に囚われて、全体の構造を見ずに間違った情報に踊らされて、知らぬ間に人類全体を破滅に向かわせる様に似ている。

人類全体としての一つの生命、地球と言う一つの生命が全体として「悟り」を得ることが出来る可能性が今だからある。
一つの細胞としての一人一人が世界全体との関わりを知り、美しい世界を作って行ける可能性が今だからある。

この時代の変化を、細胞としての我々一人一人に害をなす放射線に留めてこのまま破滅に向かって邁進するか、未来を見て、かつて一人の人体が悟りを得たように、人類全体で新しい可能性に見合った世界を目指すか。

もしこの時代にブッダが生まれていたなら、何を語りどんな事をしたか。
想像せずにはいられない。

ここ、ブッダ生誕の地、ルンビニには現在、中国、韓国、オーストラリア、ネパールなど多くの国々の寺や、世界平和を祈願して世界中に仏舎利塔を建てて活動をしている日本の日蓮系の日本山妙法寺、世界中で純粋にブッダの行った瞑想法を教え広めようと活動しているヴィパッサナー瞑想など、仏教由来の世界各国の団体の建物が同じ敷地内に建てられている。
単純にすごい光景だ。

宗教も民族も国境もあらゆる概念が変化の瀬戸際に立たされているこの時代、彼が本当にしたかった事が目指せるのもまた、「今」なのではないだろうか。

子ども達、世界全体、我々自身のために、出来る限り多くの人々と共に考えて行きたい。

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