九州

【おまんらにやった命・南洲翁を訪ねて】

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エイ!ヤァー!!
南洲神社で手を合わせていると、
子供達の、剣術稽古の気合が聞こえてくる。

この声は時代を超えて、
この地に響き続けている。

「無私」
この言葉で、真っ先に思い浮かぶ人物の一人。
西郷隆盛

動乱の時代にあって、
無血開城により、明治の新しい時代の始まりに貢献した。
しかし、新たな時代に不満を持った士族たちの反乱が相次いだ。
その流れの中で、西郷の私塾の生徒を含む薩摩藩士が、
政府の弾薬庫を襲撃。
新政府の士族に対する冷たい処遇、
その上に、薩摩藩が整え、政府に渡っていた兵器が薩摩から密かに搬出されたこと。
薩摩藩士の溜まった怒りが爆発した瞬間だった。

それを知った、西郷隆盛は、
「しまった!」
と叫びながら、
日本の未来、薩摩の未来の間、
正解のない問いに決断を下す。
「おまんらにやった命」

こうして、自ら誕生に貢献した新政府と激突。
西南戦争の末に、
その命を終える。

そこに、「私」があっただろうか。

その瞬間、
命をかけて奔走しようとも、
両方を立てて丸く収めることはもはやできない。
政府側、薩摩藩士、両方の立場も分かる。
どちらについても、完全に筋を通すことはできない。
どのみち、これまでの命、何に捧げようか。

生徒の想いにくれてやろう。
上手く運べば、和解。
そうでなければ士族の誇りを背負ってもろとも沈み、
新たな時代の礎になる。

今の日本に、
彼のようなリーダーがどれほどいるだろうか。

今の日本に彼がいたら、
どう思うだろうか。
何を言うだろうか。
どんなことをするだろうか。

自己犠牲が正解とは限らない。
しかし、
人々は彼を美しいと思う。
その理由は、
ただ、自分のために何かをしてくれたと言うだけではない。

人は、無私で人に尽くす者を見た時、
確かに自分もそうありたいと思うのだ。
そうでなければ、
これほどの人が、彼を師と仰ぎ、
その道を志すことはない。

自分のためだけに生きようとすると、
感情がなくなり、命を終えたくなる。

人を想って生きると、
命が輝き、感情が溢れ、人生は色鮮やかに、
活力が湧いてくる。

人はそういうものだ。
世界中、どこでも、
幸せそうなのは、
人を想う人。

それを知らずに、
生存や私欲を満たす為の利己主義だけを教えられるのは、
なんと寂しいことだろう。

人間の美。
教育とは、
それを教える事なのではないだろうか。

エイ!
ヤァー!!

南洲翁を偲ぶ場所で、
子供達の凛々しい声が聞こえてくる。

「その格好で、鹿児島を歩いてくれて嬉しいです」
道端の人が、今まで言われたことがないような言葉をくれる。

来年は、明治維新150周年。
新たな時代に、
日本は岐路に立たされている。

先人から真摯に学び続け、
未来を思い描いて行きたい。

北海道から、ついに鹿児島!
西郷隆盛が最期を過ごした洞窟や、
知覧飛行場を訪れ、
素晴らしい出会いと再会をいただいた。
多くを感じ、多くを考えさせられる。

残すは沖縄だけ!
ありがとう九州。

行くぞー!!

-九州